反カトリック「人種のるつぼ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
「反ユダヤ主義」の記事における「反カトリック「人種のるつぼ」」の解説
清教徒を国民的伝統とするアメリカ合衆国では憎悪のはけ口がユダヤ人よりもカトリック教徒に対して向けられていた。アイルランドのカトリック教徒はローマ教会の扇動で陰謀を企てているとさかんに告発され、1834年にはボストンのチャールズタウンでのプロテスタント暴徒が聖ウルスラ女子修道会に放火し(聖ウルスラ修道会暴動事件)、1836年の『マリア・マンクの暴露話』ではモントリオールのカトリック修道院での司祭による修道女への性的虐待と子殺しが告発されるなど、反カトリック運動が盛り上がった。1850年代には反カトリック政党ノウ・ナッシングが結成され、デイゴー(Dago)と呼ばれたイタリア人カトリック移民はカインの印を刻まれた生来の犯罪者とされ、1890年代にはリンチを受けた。 作家ジョン・ヘクターは『アメリカ農民の手紙』(1782)でアメリカ人を「全民族が融合した新しい人種」とし、この新人種は世界を変えるだろうと述べた。19世紀半ば、民族のるつぼ(メルティング・ポット)が米国の原則として明確化すると、思想家エマーソンや作家メルヴィルは民族混合の利点を主張した。ダーウィンは移民は自然淘汰から生まれた優秀な産物であるとし、スペンサーは1882年に移住と混合は優れた民族を生み出すとアメリカで述べた。チェスタトンは、アメリカでは反ユダヤ主義は禁止されており、アメリカの愛国主義はあらゆる人の同化を誇りにすることであると述べている。しかし、ドイツ系ユダヤ人の哲学者ホレス・カレンは1915年にメルティング・ポットによる同化主義を否定して「人々は衣服、政治、妻、宗教、哲学を程度の違いはあれ変えることができる。しかしながら、彼らはその祖父を変えることはできない」として、人々はエスニシティを生涯変えることはできないと論じた。またカレンは、1928年の「反セム主義のルーツ」では、キリスト教国家は反セム主義を普遍的準則としてしまうと論じた。
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