ベアボーンズ議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 04:59 UTC 版)
ベアボーンズ議会(ベアボーンズぎかい、Barebone's Parliament)とは、かつて清教徒革命期のイングランド共和国に存在した政治機関である。オリバー・クロムウェルら独立派幹部によって1653年7月4日に召集されたが、急進的路線を突き進み内部分裂を起こしたため12月12日に短期間で解散された。
- 1 ベアボーンズ議会とは
- 2 ベアボーンズ議会の概要
- 3 参考文献
ベアボーンズ議会(1653年7月 - 12月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 17:07 UTC 版)
「イングランド共和国」の記事における「ベアボーンズ議会(1653年7月 - 12月)」の解説
ランプ議会の解散は、クロムウェルと軍の一元的支配で速やかに執行された。選挙を行える執政権力を持つ存在は無かったが、クロムウェルは軍事独裁を全面に出すことは好まなかった。従ってクロムウェルは軍をコントロールするため軍の指名者によるベアボーンズ議会(聖者議会、指名議会とも)を7月4日に召集、議会を通じて統治を行った。 ベアボーンズ議会は元ランプ議会のメンバーと対立し、「下層の」者の議会だと非難された。しかし実際は、140人のうち110人を超えるメンバーが下級ジェントリ以上の階級出身者で(バプテストの商人プライズ=ゴッド・ベアボーンは議会の不名誉なニックネームの由来となったがむしろ例外的な存在である)、ほとんどは教養を身につけていた。 ベアボーンズ議会は、それぞれの議員を指名した士官ごとのさまざまな視点を反映したものとなった。改革派(約40人)にはコモン・ローと宗教勢力の領地の排除を狙う第五王国派の中核などが含まれていた。穏健派(約60人)は現在のシステムの改善を考えており、事案ごとに改革・保守派につくこともあった。保守派(約40人)は以前の体制を維持しようとした(コモン・ローがジェントリの既得権益や、十分の一税や聖職推挙権といった重要な資産を保護していたため)。 クロムウェルはベアボーンズ議会を一時的な立法機関と考えており、改革を実行して共和国の憲法を作成することを望んでいた。しかしながら、メンバーが論点ごとに分裂する、議会経験があるのが25人のみ、多くは法学の教育を受けているが資格を持った法律家がいない、といった問題があった。 クロムウェルが改革の実行を期待していたとみられるベアボーンズ議会は、このように統制や指導するものがないアマチュア集団であった。改革派が、旧体制を維持する法案を否決させるために十分な人員を集めると、保守派は多くの穏健派とともに12月12日にクロムウェルに政治権力を譲渡した。クロムウェルは議会に兵士を送って残った議員を一掃し、ベアボーンズ議会は終わった。 4日後の12月16日、クロムウェルは護国卿に就任して1658年9月3日に死ぬまでの5年間王のような立場になった。『統治章典』制定に始まり第一議会召集と解散、軍政監設置、第二議会召集で軍政監・統治章典廃止および『謙虚な請願と勧告』制定とクロムウェルは安定した体制を求め模索を重ねたが、1658年2月4日に第二議会を解散して7ヶ月後に死去、実現しないまま終わった。後を息子のリチャード・クロムウェルが継いだが、護国卿政存続は難しくなっていた。
※この「ベアボーンズ議会(1653年7月 - 12月)」の解説は、「イングランド共和国」の解説の一部です。
「ベアボーンズ議会(1653年7月 - 12月)」を含む「イングランド共和国」の記事については、「イングランド共和国」の概要を参照ください。
ベアボーンズ議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)
「聖者議会」「推薦議会」「指名議会」「小議会」「いやしい身分の狂信者たちの集まり」などとよばれたベアボーンズ議会は、ランプ議会にかわって7月4日に開会した。この議会で中心的役割を果たしたのが急進派(第五王国派)ハリソンと穏健派ジョン・ランバートであり、クロムウェルは両派から英雄として担ぎ上げられていた。ハリソンら第五王国派の影響を受けた彼は議会に国家権力を委譲、共和国の改革を期待していたが、議会は最初から急進派と穏健派の対立が収まらず、クロムウェルは委譲を後悔するようになった。 穏健派は議会の解散とクロムウェルの国王就任を目論み、その思惑通りに事態が進展、ベアボーンズ議会は5ヶ月後の12月12日で自主解散した。クロムウェルはこの構想に同意したわけではなかったが、議会がなくなってしまった以上、政権を引き受けざるを得ず、KingではなくLord Protector(護国卿)として渋々政権の座についた。
※この「ベアボーンズ議会」の解説は、「清教徒革命」の解説の一部です。
「ベアボーンズ議会」を含む「清教徒革命」の記事については、「清教徒革命」の概要を参照ください。
- ベアボーンズ議会のページへのリンク