1640年代
1640年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:09 UTC 版)
詳細は「1640年代」を参照 1640年ポルトガル独立戦争(喝采戦争 - 1668年)で、ジョアン4世が即位しブラガンサ朝が成立する。 カタルーニャで収穫人戦争( - 1659年)。 イングランドで短期議会、長期議会。 寛永の大飢饉( - 1643年)。 1641年イングランドで議会の大諫奏。星室庁と高等宗務官裁判所が廃止される。 オランダ商館を平戸から長崎出島に移す。 1642年清教徒革命( - 1660年)。三次にわたるイングランド内戦( - 1651年)が始まり第一次イングランド内戦が勃発( - 1646年)。 グーシ・ハーンがチベットを再統一し、ダライ・ラマ5世との協力関係を樹立。 フランスでサン・マール侯爵の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。 1643年明正天皇が譲位し、第110代後光明天皇が即位。 イエズス会宣教師ジュゼッペ・キアラらが筑前国に上陸するも幕府に捕縛される。 清のホンタイジが死去、フリン(順治帝)が第3代皇帝として即位。 クーバット・イワノフがロシア人として初めてバイカル湖に到達。 フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位し、母后アンヌ・ドートリッシュが摂政、ジュール・マザランが宰相となる。 1644年明清交替。李自成が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。 山海関の守将呉三桂が清軍に降伏し、清軍が入関する。 一片石の戦いで李自成を退去させ、清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。 李自成軍が西安に逃亡。清が漢民族に対する薙髪令(英語版)を出す。 越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州(韃靼)に漂着、清朝支配の北京に連行される(『韃靼漂流記』)。 マーストン・ムーアの戦い。 1645年ネイズビーの戦い。 オスマン帝国とヴェネツィア共和国とのクレタ戦争( - 1669年)。 ダライラマ5世がラサのポタラ宮殿建設に着手( - 1695年)。 明の弘光帝の南京政権が崩壊、揚州大虐殺。嘉定大虐殺(中国語版)。湖北省通城県九宮山で李自成が殺害される。 1646年ポルトガル国王ジョアン4世が植民地ブラジルをブラジル公国に昇格させる。 ヴィジャナガル王国の都ヴェールールがビジャープル王国に包囲され陥落。 明の隆武帝の福州政権が崩壊。張献忠が四川省塩亭県鳳凰山でホーゲの清軍に射殺される。 1647年ナポリでマサニエッロの反乱。 明の紹武帝の広州政権が崩壊。 1648年ムガル帝国でタージ・マハル竣工(1632年 - )。 「狂人皇帝」と呼ばれたオスマン皇帝イブラヒムが廃位され殺害される。息子のメフメト4世が即位。 ロシア人探検家セミョン・デジニョフがユーラシア大陸最東端のチュクチ半島デジニョフ岬に到達。 フメリニツキーの乱によりポーランド・リトアニアからウクライナ・コサックが離脱。 プラハの戦い(1648年)(英語版)とスウェーデン軍のプラハ略奪。 ヴェストファーレン条約により三十年戦争終結(ヴェストファーレン体制)。オランダとスイスの独立が承認される。スウェーデン・プロイセン・フランスの領土拡大。 フランスでフロンドの乱( - 1653年)。 第二次イングランド内戦。プライドのパージ。長期議会の議員が軍により大勢追放、残った議員でランプ議会を形成。 1649年チャールズ1世処刑。イングランド共和国誕生( - 1660年)。第三次イングランド内戦( - 1651年)。 オリバー・クロムウェル、アイルランドへ上陸し征服活動開始(クロムウェルのアイルランド侵略)。 明の遺臣黄宗羲が江戸幕府に反清の援軍要請(日本乞師)のため長崎を訪れる。
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