エヴァンジェリスタ・トリチェリ
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エヴァンジェリスタ・トリチェリ | |
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“Lezioni accademiche d'Evangelista Torricelli” の表紙[1]
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生誕 | 1608年10月15日![]() |
死没 | 1647年10月25日(39歳没)![]() |
市民権 | 教皇領 |
研究分野 | |
博士課程 指導教員 |
ベネデット・カステリ(イタリア語: Benedetto Castelli) |
主な業績 | |
影響を 受けた人物 |
ガリレオ・ガリレイ |
プロジェクト:人物伝 |
エヴァンジェリスタ・トリチェリ(イタリア語: Evangelista Torricelli、グレゴリオ暦1608年10月15日 - グレゴリオ暦1647年10月25日[2])は、イタリアの物理学者。ガリレオ・ガリレイの弟子。
ファエンツァに生まれ、ローマに出て最初は数学者ベネデット・カステリの秘書をした。1641年からはガリレイの弟子となり、ガリレイの死まで研究をともにした。その後はトスカーナ大公フェルディナンド2世に数学者・哲学者として招かれて、ピサ大学の数学の教授に任命された。1647年、腸チフスのため39歳で没した。
トリチェリの真空
約10メートルよりも深い井戸から水を直接吸い上げることができないことは古くから知られていたが、1643年、トリチェリはこれを説明するための実験を、弟子のヴィヴィアーニともに行った。一方の端が閉じたガラス管に水銀を満たし、水銀を満たした皿にこれを立てると、水のときの約14分の1の約76センチメートルの高さにしかならず、それより上の部分は真空になることを発見した。水と水銀の密度の比も約1:14であることから、空気による圧力、大気圧によって液体が押されているのだ、という結論に達した。同時に、水銀柱の高さは日々微妙であるが変化することも発見した。また、水銀柱のある場所によっても変わることが分かった。このため水銀気圧計の発明者ともされている。また、圧力の単位トル (Torr) はトリチェリの名にちなむ。
トリチェリの定理
1644年には、液体を入れた容器の側面に比較的小さな穴を空けたときの液体の流出速度に関するトリチェリの定理を発表した。重力加速度をg 、液面と穴の高低差をh 、流出速度をv とすると
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イタリア語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Lezioni accademiche
- ^ “Evangelista Torricelli | Italian physicist and mathematician”. Britannica. 2024年10月25日閲覧。
関連項目
固有名詞の分類
17世紀の数学者 |
安藤有益 関孝和 エヴァンジェリスタ・トリチェリ ピエール・ド・フェルマー ジャック・オザナン |
イタリアの物理学者 |
アウグスト・リーギ ジョヴァンニ・ボレリ エヴァンジェリスタ・トリチェリ アレッサンドロ・ボルタ マセドニオ・メローニ |
イタリアの数学者 |
ボナヴェントゥーラ・カヴァリエーリ カンパヌス エヴァンジェリスタ・トリチェリ カルロ・エミリオ・ボンフェローニ ジェロラモ・カルダーノ |
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