ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 学者・研究者 > 数学者 > 17世紀の数学者 > ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニの意味・解説 

ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 00:55 UTC 版)

ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ

ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ (Vincenzo Viviani、1622年4月5日フィレンツェ - 1703年9月22日フィレンツェ[1]) は、イタリア数学者科学者である。

トリチェリの弟子であり、軟禁状態にあった晩年のガリレオの助手として働き、ガリレオの伝記を書いた。音速の測定などをおこなった。

生涯

フィレンツェに生まれた。イエズス会の学校に学び、大公フェルディナンド・デ・メディチから数学の本を購入する資金を与えられた。エヴァンジェリスタ・トリチェリの生徒となり、物理学幾何学を学んだ。1639年、17歳のときに軟禁状態のガリレオの助手として派遣され、1642年のガリレオの死まで仕えた。1655年から1656年にわたって、ガリレオの最初の伝記を執筆した。

1647年のトリチェリの死後、フィレンツェの美術アカデミー (Accademia dell'Arte del Disegno di Firenze)のメンバーを継いだ。またヴィヴィアーニはアカデミア・デル・チメント(実験のアカデミー)の創立メンバーとなった。

1660年に、ヴィヴィアーニはジョヴァンニ・ボレリと共に、音速を測定する実験を行った。距離を置いた大砲の閃光と発射音の到達時間の違いから毎秒350mの値を得た。それまでにフランスピエール・ガッサンディが求めた値478m/秒より正確な値であった。

1666年までに彼の数学者としての評判は高まり、ルイ14世やポーランド王ヤン2世から招きをうけるが、彼を失うことを恐れた大公は王廷数学官の地位を与えてひきとめた。1696年王立協会フェロー選出。

日本語文献

  • 『ガリレオ・ガリレイの生涯 他二篇』 田中一郎訳、岩波文庫、2023年。ISBN 9784003395516
    他は「メディチ家のレオポルド殿下への手紙」「最晩年のガリレオについての報告」

脚注

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ」の関連用語

ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS