エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)の意味・解説 

エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/24 16:23 UTC 版)

エヴァンジェリスタ・トリチェリ (Evangelista Torricelli) はイタリア海軍潜水艦ブリン級

1937年12月23日起工[1]。1939年3月26日進水[1]。同年5月7日竣工[1]

イタリアは1940年6月10日に第二次世界大戦に参戦。「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」はイタリア領東アフリカに配備されていた潜水艦の一隻で、トラブルが発生した潜水艦「ガリレオ・フェラリス」の代わりとして6月14日にマッサワからジブチへ向けて出撃した[2]。6月21日、「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」はイギリス駆逐艦「キングストン」、「カルトゥーム」、スループ「ショアハム」の攻撃を受けて損傷し、艦長Pelosiは帰投を決断した[3]

6月23日、「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」はペリム島の北で敵に発見された[4]。敵はイギリス駆逐艦「カンダハー」、「キングストン」、「カルトゥーム」、スループ「ショアハム」およびインドのスループ「インダス」であった[5]。Pelosiはアッサブへ逃げ込もうとしたが、戦闘となった[6]。「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」は5時30分に砲撃を開始し「ショアハム」の撃退に成功したが、ついで駆逐艦3隻との戦闘となった[5]。「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」は魚雷も艦尾から4本発射したが、回避された[4]。6時5分、「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」は被弾[7]。6時10分頃、Pelosiは自沈を命じた[7]。「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」は6時24分に北緯12度34分、東経43度16分で沈没した[7]

「エヴァンジェリスタ・トリチェリ」乗員は戦闘で2名、「キングストン」艦上で3名、「カルトゥーム」艦上で1名が死亡した[7]

脚注

  1. ^ a b c Italian Warships of World War II, p. 139
  2. ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", pp. 20, 40
  3. ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 40, "Red Sea Naval War", Sinking of Torricelli
  4. ^ a b Struggle for the Middle Sea, p. 101
  5. ^ a b "Red Sea Naval War", Sinking of Torricelli
  6. ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 41, Struggle for the Middle Sea, p. 101
  7. ^ a b c d "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 42

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)」の関連用語

エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエヴァンジェリスタ・トリチェリ (潜水艦・3代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS