ニューバーンの戦いとは? わかりやすく解説

ニューバーンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 10:08 UTC 版)

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ニューバーンの戦い
戦争主教戦争
年月日1640年8月28日
場所イングランドノーサンバーランド州ニューバーン
結果:スコットランド国民盟約軍の勝利
交戦勢力
イングランド スコットランド国民盟約軍
指導者・指揮官
コンウェイ卿エドワード・コンウェイ英語版 アレクサンダー・レズリー
戦力
3,000人 22,500人
損害
壊滅 不明
清教徒革命
主教戦争
ニューバーン
イングランド内戦
エッジヒルアドウォルトン・ムーアマーストン・ムーアネイズビー
スコットランド内戦
インヴァロッヒーキルシスフィリップホフ
アイルランド同盟戦争
ジュリアンストーン – キルラッシュ – リズキャロル –ニュー・ロス – ベンバーブ – ダンガンの丘– ノクナノース
三王国戦争
プレストンダンバーウスターラスマインズドロヘダ – クロンメル – マクルーム – スキャリフホリス – リムリック – ノックナクラシー – ゴールウェイ

ニューバーンの戦い(Battle of Newburn)は、1640年8月28日イギリスで発生した主教戦争(第二次)における戦い。一次を含めた主教戦争でほぼ唯一の戦闘であり、後の清教徒革命の遠因となる。

8月20日スコットランド国民盟約軍は国境を越えて進んできたが、イングランドには軍を集めるだけの余力がなく、アイルランドからかき集めたわずかの手勢を送り込んだにとどまった。両軍はタイン川をはさんで対峙していたが、盟約軍の別動隊がイングランド軍に襲いかかり、イングランド軍は次々に川に追い落とされていった。勢いに乗った盟約軍はニューカッスル・アポン・タインを占領し、さらに進撃をつづける態勢をみせた。

イングランド王チャールズ1世は自ら貢物を持って盟約軍に赴き、和平を乞うた。こうしてリポン条約が締結され、ノーサンバーランドおよびダラムがスコットランド側に割譲された。





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