主教戦争とは? わかりやすく解説

主教戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 13:17 UTC 版)

主教戦争(しゅきょうせんそう、: Bishops' Wars)は、イングランドスコットランドにおいて、宗教問題が原因で起こった戦争である。イングランド王兼スコットランド王チャールズ1世イングランド国教会の形式にもとづく祈祷書監督制をスコットランドに強制したことが原因で、1639年(第1次)および1640年(第2次)の2度起こった。この戦争は2度ともスコットランド側の勝利に終わり、清教徒革命の原因の1つとなった。名称は監督制の別名・主教制に由来する。


  1. ^ 浜林、P85 - P87、今井、P187 - P188、トランター、P271、清水、P31。
  2. ^ a b c d 松村、P75。
  3. ^ 浜林、P87 - P88、今井、P188、トランター、P271 - P272、清水、P31 - P32。
  4. ^ 浜林、P88 - P89、今井、P188 - P189、トランター、P273 - P275、清水、P32。
  5. ^ 浜林、P89 - P91、今井、P191、清水、P33 - P34。
  6. ^ 浜林、P91 - P92、今井、P192、清水、P34。
  7. ^ 浜林、P96 - P100、P104 - P113、今井、P192 - P197、清水、P35 - P40、P45 - P51。
  8. ^ 浜林、P138 - P141、今井、P203、トランター、P275 - P277、清水、P60、P74、P76、P94。


「主教戦争」の続きの解説一覧

主教戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)

清教徒革命」の記事における「主教戦争」の解説

詳細は「主教戦争」を参照 第1次1639年)および第2次1640年)の主教戦争によってイングランド王室は財政限界達し親政中止して議会召集せざるをえなくなった。これがイングランド議会国王対立招いた一因とされるスコットランド内はほぼ盟約派として団結し祈禱書停止議会宣言した。さらにイングランドチャールズ1世に主教戦争を挑み両軍イングランド北端トゥイード河口ベリック対峙した。これは結局対峙しただけでチャールズ1世和議申し込み1639年6月18日ベリック条約成立した条約成立したものの、チャールズ1世主要な対立点である宗教問題について譲歩しなかった。それだけでなくカトリックの有力氏族であるハントリー侯爵ジョージ・ゴードン英語版)を北方長官任命しスコットランド主教制度浸透はかった必然的にスコットランド盟約派はふたたび軍をおこし、モントローズ侯ディー戦いで国王派破りハントリー侯捕らえた。これによって、第2次主教戦争が始まった盟約軍の南進の報がイングランド届いたが、短期議会課税承認失敗し財源がほとんど無いチャールズ1世には軍をしたがえるだけの資金が底をついていた。盟約軍がニューバーンの戦いイングランド軍を破りニューカッスル・アポン・タイン占領したところでチャールズ1世和平もとめてやってきた。こうして締結されリポン条約賠償金の支払い盛り込まれた。これがイングランド財政をいよいよ払底させ、長期議会召集につながることになった。 主教戦争が一段落すると、スコットランド議会国政中心機関となり、さまざまな議会改革進められた。この改革イングランド長期議会での改革および大抗議文モデルとして採用された。またスコットランド1641年8月批准されロンドン条約将来国家構想提案イングランド対等な関係を築き両国議会王権制限しながら政治・軍事外交など相互協議で行う連邦制望んだが、イングランドからは未回答先送り返事だけであり実現しなかった。

※この「主教戦争」の解説は、「清教徒革命」の解説の一部です。
「主教戦争」を含む「清教徒革命」の記事については、「清教徒革命」の概要を参照ください。

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