ニューバーンの戦い (南北戦争)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 05:15 UTC 版)
ニューバーンの戦い(ニューバーンのたたかい、英:Battle of New Bern、またはBerne)は、南北戦争初期の1862年3月14日に、アンブローズ・バーンサイド准将のノースカロライナ州遠征の一部としてニューバーン市近くで行われた戦闘である。バーンサイドの率いる北軍海岸師団には北大西洋封鎖戦隊から武装艦船が従っていた。対抗して守る南軍はローレンス・O・ブランチ准将の指揮するノースカロライナ軍と民兵隊だったが、勢力で劣り、訓練も足りていなかった。守備隊はこの戦闘よりも随分前に設けられていた胸壁の背後で戦ったが、その前線には中央に弱点があり、そこを北軍兵の攻撃で衝かれた。前線のその中央が突破された時、民兵隊の多くが崩壊し、南軍は総退却を強いられることになった。ブランチ将軍は30マイル(50 km) 離れたキンストンまで退却してやっとその部隊の統制を取り戻すことができた。ニューバーンは北軍の支配下に入り、それは戦争の残り期間も続いた。
- ^ Official atlas, plate 138.
- ^ ORA I, v. 9, pp. 224–225.
- ^ Battles and leaders, v. 1, p. 6.
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, p. 17.
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, pp. 637–64. ロアノーク島の指揮官はヘンリー・A・ワイズ准将だった。
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, pp. 88–90. Campbell, Storm over Carolina, pp. 75–81.
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, p. 106.
- ^ ORA I, v. 9, p. 242.
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, p. 109. ORA I, v. 9, p. 202.
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, pp. 109–110.
- ^ ORA I, v. 9, pp. 241–244.
- ^ ORA I, v. 9, p. 202.
- ^ ORA I, v. 9, p. 203.
- ^ ORN I, v. 7, pp. 117–118. コーワンは友軍の砲火(同士撃ち)の効果をオリンピック派遣と見なした。「私は9インチ砲の説得力ある効果を知っており、道徳的勧告効果を失うよりも北軍兵を1人か2人殺した方が良いと考えた。
- ^ Trotter, Ironclads and columbiads, p. 111.
- ^ ORA I, v.9, pp. 223–228.
- ^ ORA I, v.9, pp. 238.
- ^ Campbell, Storm over Carolina, pp. 90–91. Trotter, Ironclads and columbiads, pp. 116–118.
- 1 ニューバーンの戦い (南北戦争)とは
- 2 ニューバーンの戦い (南北戦争)の概要
- 3 戦闘の後
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