一片石の戦い(1644年)
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「明清交替」の記事における「一片石の戦い(1644年)」の解説
国・勢力指導者状況・目的清 ドルゴン 順軍に勝利し、北京を占領。勝利 順軍(農民反乱軍) 李自成 北京から敗走。敗北 明軍(呉三桂軍) 呉三桂 清に帰順。勝利 呉三桂は5月27日の朝に清に投降し、ドルゴンは呉三桂を平西王に任命して北京まで清軍を先導させた。清軍は繰り返し順軍を攻撃したが、戦列を崩せなかった。ドルゴンは呉三桂の軍に順軍を攻撃させて双方が弱体化するまで待ち、順軍は敗走して北京に舞い戻った。これを一片石の戦い(英語版)と呼ぶ。敗れた李自成は北京で皇帝即位の儀式を行なったのちに宮殿を焼き払い、金銀や崇禎帝の息子とともに北京を脱出した。李自成の北京占領は40日間で終了した。ドルゴンが率いる清軍は無抵抗の北京に入城し、順治帝は9月に北京に入った。ドルゴンは民心を安定させるために占領政策を進めて、清軍には市民からの略奪を禁じたほか、剃髪令の一時撤回、刑罰の寛免、強制買付や付加課税の中止、明の皇族や官僚の地位保持などを行なって帰順を呼びかけた。こうした政策の多くは、范文程や洪承疇の助言によって立案された。
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