1642-43年の航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 04:23 UTC 版)
「アベル・タスマン」の記事における「1642-43年の航海」の解説
16世紀後半にはオランダによって現在のオーストラリアの西海岸が発見されており「New Holland(新オランダ)」と名付けられていたが、そこが「テラ・アウストラリス(Terra Australis)」という大陸であるかという調査をオランダ東インド会社によって依頼された。 最初はモーリシャスへと航海し1642年9月5日に到着した。当地での船の修復、船員の休養、補給の後10月8日にモーリシャスから出発した。11月24日に現在のタスマニアの西海岸に到達し、オランダ東インド会社総督の名前アントニオ・ヴァン・ディーメンにちなんで「Anthoonij van Diemenslandt(ヴァン・ディーメンズ・ランド)」と命名した。1856年には、イギリスにより発見者タスマンに因みタスマニア島と改名された。 調査の後にタスマニア島から北上しようとしたが風に恵まれず東へ進路をとった。そのためオーストラリア大陸を見逃してしまった。そのまま東へ航行し、12月13日にニュージーランドの南島に到達。タスマンはこの島は南米南端のスターテン島(現在のロス・エスタードス島)の一部と推定し、「Staten Landt」と命名した。その後、北へ進路をとる。ニュージーランドでは水や食料の補給中にマオリ族と争いになり、船員4名と数名のマオリ族の死者が出ている。その場所を「Murderers湾」(現在のゴールデン湾)と命名し、さらに北に航行したが、クック海峡をただの湾と間違え「Zeehaen湾」と命名した。ニュージーランドの南北両島が一つの島であると信じていた。 バタビアへの帰路、1643年1月20日にトンガへその後フィジーへ到達し、ニューギニアの北岸を西進し6月15日にバタビアへ戻った。 ニュージーランド航海の目印として名づけた名前は現在も残っており、マリア・ヴァン・ディーメン岬(英語版)やスリーキングズ諸島等がある。
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