1640年までのシャウムブルクおよびホルシュタイン=ピンネベルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 08:50 UTC 版)
「シャウエンブルクおよびホルシュタイン伯」の記事における「1640年までのシャウムブルクおよびホルシュタイン=ピンネベルク」の解説
オルデンブルク家出身のデンマーク王クリスチャン1世がホルシュタイン=レンズブルク伯の後継者に選ばれ、クリスチャンは1460年に伯領を継いだ。1474年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世は、クリスチャン1世をホルシュタイン=レンズブルク伯からホルシュタイン公とした。ホルシュタイン=ピンネベルクおよびシャウムブルクのシャウエンブルク家は1640年の男系断絶まで続いた。この系統は「ホルシュタイン=シャウエンブルク」ともいわれる。シャウムブルク伯は1619/20年にシャウムブルク侯となったが、ホルシュタイン公はホルシュタイン=ピンネベルク伯の陞爵に反対した。
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