コペルニクス当時の天文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:58 UTC 版)
「ニコラウス・コペルニクス」の記事における「コペルニクス当時の天文学」の解説
コペルニクスの時代まで、惑星の位置を計算するのに最も普通のやり方は、1270年代にアルフォンソ10世が作らせたアルフォンソ天文表を用いるものだった。これによってそれぞれの惑星が特定の時点にどの位置にあるかということと、一日にどれだけ進むかという情報が示された。当時は古代ローマ帝国時代の西暦150年頃成立したアレキサンドリアの天文学者プトレマイオスが作った天文体系『アルマゲスト』に基づいた天文計算が行われていた。アルフォンソ10世には、天文学者の仕事を見て「惑星の運動は複雑すぎる」と述べたという伝説があり、そこから当時の天文学者がそれぞれの惑星に周転円を複数用いたという神話が生まれ、天動説の複雑さの例として通俗書に書かれたが、実際にはアルフォンソ表の体系全体は「それぞれの惑星に独立した周転円は1つしかない」という考えで計算されていた。もしも惑星の周転円を2つにしたら中世の数学者には複雑すぎて計算できなかったためである。従って、コペルニクスが地動説を考えた理由として「プトレマイオスの天文学が複雑すぎると考えた」とすることはできない。
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