1522年奴隷反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/05/30 17:47 UTC 版)
「ドミニカ共和国のイスラム教」の記事における「1522年奴隷反乱」の解説
アメリカ州で初めて記録された大規模な奴隷反乱は、1522年にサントドミンゴで発生した、ジョロフ王国出身のムスリム奴隷の集団によるものであった。暴動を島内全域に拡大させるため、扇動者らが近隣の共同体を回り共謀者を募った結果、集団の人数は2倍になった。暴徒らはなたを手に進撃し、プランテーションの経営者らや家畜の四肢を切断し、「曙光の下での凄惨な行進」を開始した。暴徒が通った跡は、家屋や農園が煌々と燃え上がり、「そこここの空き地に、無防備でいたところを(暴徒らに)見つかった不幸な白人の切断死体が転がっていた」。 同年12月28日には、メルチオル・デ・カストロの牧場に到達する。暴徒らは同地で襲撃することを計画していたと考えられるが、すでにさらなる奇襲を続けることはできなくなっていた。牧場主デ・カストロの指揮下、民兵、志願兵を問わずヨーロッパ人と地元民の混成軍が結成され、アフリカ人暴徒集団を攻撃、反乱を鎮圧したのである。その場で戦死しなかった暴徒も、丘に連行され1週間以内に斬首された。この戦闘で少なくともヨーロッパ人9人を含む15人程度が死亡。ディエゴ・コロンブスは、反乱が早期に鎮圧されていなければ、もっと多くの「キリスト教徒」の生命が失われていただろうと回想している。
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