1520セグウィック通り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 01:15 UTC 版)
「クール・ハーク」の記事における「1520セグウィック通り」の解説
クライブ・キャンベル(クールハーク)は、キース・キャンベルとネッティ・キャンベルの子、6人兄弟の長男としてジャマイカのキングストンで産まれる。ジャマイカで、彼は近所のダンスホールで開かれるパーティーの、音楽やDJの乾杯の音頭を聞きながら育つ。1967年にニューヨークのブロンクスに移り住む。ブロンクス横断鉄道の建設(ロバート・モゼスが1963年に完成、1972年まで延長工事)によって何千人もがブロンクスに移り住み、地域一帯を変化させていった。この鉄道建設と低地価現象によって白人の郊外への脱出を引き起こす事となる。多くの地主は保険から少しでもお金を取り戻そうと、放火脅迫で新しい移住者を脅した。このようにブロンクスでは暴力的な若いギャングの風潮が盛んに見られるようになり、1968年から1973年までその風潮はどんどんと広がって行く。 キャンベルは高校時代(アルフレッド・スミス・キャリアテクニカル高校)に、その長身、人気、バスケットボール選手としての活躍で「ヘラクレス」と呼ばれるようになる。ともに、落書き(グラフィティ)グループ、エクスバンダルスにも加わり、ここでクール・ハークとニックネームがつく。その頃同時に彼は、父に懇願して当時レアだったジェームス・ブラウンのレコード「セックス・マシーン」を手に入れた。このレコードを聞くために周りの友人は集まるようになり、妹シンディーと新学期パーティーを開くようになる(1540セドウィック通りのレクリエーションルーム)。これを機にハークはサウンドシステムを持つようになる。彼の初代サウンドシステムは、ターンテーブル2台、2チャンネル付きギターアンプ、PAスピーカー。これを使ってジェームス・ブラウンの「Give It Up Or Turnit A Loose」、ザ・ジミー・キャスター・バンチの「It's Just Begun」、 Booker T & the MG'の「Melting Pot」などを流す。この頃のブロンクスのクラブではストリートギャングの脅威があったため、年上のディスコ好きのリスナーに音楽の提供をしていたアップタウンDJは違う音楽への強い憧れを持っており、ブロンクスの若者の流行とは違うハークの新しい音楽を一般ラジオ局で提供したところ、あっという間にリスナーに受け入れられていった。
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