構想から公社設立まで
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「名古屋高速道路」の記事における「構想から公社設立まで」の解説
車社会の到来が押し寄せた1950年代以降、経済発展と人口増加によって、100メートル道路に代表される広幅員道路を有する名古屋市内においても道路混雑が散見されるようになった。このことは中部圏の産業的な特性を考える場合、将来の道路状況に一抹の不安を与えるものであった。中部圏の産業構造は名古屋市を中心として、その周辺40 km圏内に豊田、岡崎、半田、岐阜、四日市などの生産都市が林立し、それぞれが強い工業力を発揮している。そして名古屋市とは経済面の結びつきが強いことから、名古屋市と周辺都市を結ぶ交通需要もまた旺盛であり、今後の経済成長を考えた場合さらなる需要増が予測された。それは1950年代でこそまだ円滑な交通流動が行われているが、このままのペースで自動車交通が増大すれば、やがては交通混雑を招来して都市機能が麻痺状態に陥ることが懸念された。 こうした状況下で1961年(昭和36年)に建設省から名古屋圏の道路調査が愛知県と名古屋市に委託された。その結果、将来の道路混雑を予見して街路網を整備する必要を説き、併せて都市高速と環状道路を整備する必要性が示された。その後、諸々の構想、検討が加えられ、1965年(昭和40年)6月までに整備計画の基本構想がまとめられた。この中では、一般街路の混雑緩和を図る目的から交通の質的分離が提案されたが、これは周辺都市と名古屋市を連絡する比較的長距離の交通需要と、市民の日常生活に密着する比較的短距離の質を異にする交通需要が同一平面街路で混在しては渋滞を誘発するためである。また、市外からの流出入交通すなわち走行距離の長い自動車にとって、都市特有の数多い交差点待機が及ぼす時間的、経済的影響は決して小さくないことから、市街地を高速度で走行するには連続立体構造を採用せざるを得ない。こうしたことから、市街の平面街路はあくまで市内相互間利用のみの短距離交通をあて、長距離の流出入交通については連続立体道路での高速連絡として、自動車専用道路に収容することが望ましいとされた。また、先行して計画されていた名古屋環状2号線と連絡する放射道路が整備されたとしても、将来予想される交通量から受け入れ容量の超過が予見されたことで、これらとは別路線の自動車専用の放射道路を建設し、質の分離とあわせて量への対応も行うことになった。このことから路線選定のコンセプトを都心と市街地周辺との連絡に置いた。そして選ばれた放射路線は交通が集中する6方向とされ、その全てに名古屋環状2号線が接続するものとされた。その6方向とは以下の内容である。 1.東名高速道路(名古屋IC)2.国道41号(小牧方面)3.国道22号(一宮方面)4.東名阪自動車道(名古屋西JCT) 5.西知多産業道路(知多方面)6.名四国道(岡崎方面) この内、東名阪自動車道と東名高速を直結する東西1路線、国道41号と名四国道および国道22号と西知多産業道路を直結する南北2路線、そして、南北2路線間を連絡する分岐3路線で環状ルートを形成のうえ6放射道路間の連絡を図ることとした。この基本方針はその後一部が改廃されたが6放射とする原案は現路線に概ね踏襲されている。 国会議員や地元財界人など有力者による国への働きかけは1967年(昭和42年)から開始された。当時の法律では国、地方自治体、道路公団しか道路法で認可された道路の建設は許可していなかったが、愛知県や名古屋市としては厳しい地方財政ゆえ、国と地方の折半出資による公団方式を望んだ。このため県や市は首都高速道路公団や阪神高速道路公団に倣って新たな公団を誘致するべく国に働きかけを行い、認められれば名古屋高速道路公団として事業化される筈であった。しかし建設省は新たな公団を認めず、名古屋を始め福岡、北九州や広島を含めた都市高速に対しても地方道路公社を設立のうえ事業化する方針を固めるに至った。認めない理由として、急激な自動車の増加によって政府資金だけでは需要に追い付かないことから地方財政および民間資金(いわゆる銀行ローン)を投入することで道路整備を円滑に遂行させたいとの思惑が働いたことによる。特に名古屋の場合は鏡ヶ池線に絡む地元密着的な問題が絡んでおり、この時点で既に地域住民との対立が鮮明化していたことから地元のことは自治体に任せる方が早いとの算段もあった。また、本州四国連絡橋の建設に新公団を作るほかは新たな公団を設置しない考えもあったことから公団方式は否定される結果となった。この結果、1970年(昭和45年)5月に法改正され地方道路公社法が設立された。法改正によって民間資金を導入した公社方式による建設が新たに認可されたことで、1970年(昭和45年)9月には公社法適用第1号として名古屋高速道路公社が発足するに至った。
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