道路の建設とは? わかりやすく解説

道路の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:36 UTC 版)

碓氷峠」の記事における「道路の建設」の解説

明治入って交通の要所としての重要性変わらず人々物資往来続いた1878年9月11日明治天皇北陸道東海道巡幸では、天皇徒歩にて峠を通過している。明治天皇紀によれば、「峠の険難は馬すらも通はず・・・」とあり、この時期においても難所であることには変わらなかった。1882年従来南側新道作られ1886年には馬や車で通行が可能となった。「碓氷新道」と呼ばれたこの新道国道18号(の旧道)にあたり坂本宿からその後碓氷湖作られたあたりまではおおむね和宮道(正しくは、(明治天皇御巡幸道路であり、和宮道は、熊野神社北側から子持山南西あたりまでをいう)を踏襲し、そこから西側中尾川沿って全く新しルートとされ、軽井沢宿沓掛宿の間で旧道合流するものであった新道碓氷峠は、中山道旧道碓氷峠新道開通後は旧碓氷峠呼ばれている)から南に3 kmほどの場所に移動した。この結果碓氷峠越えの道は3 km長くなったものの平均勾配半分以下に低減された。その後旧軽井沢」と呼ばれるようになった地区中山道旧道沿った場所で、軽井沢駅周辺明治時代開発され新道沿いにあたる大正以降トラックなどの往来盛んになり、失業対策兼ねた公共事業一環として1932年から翌年にかけて拡幅および一部舗装工事が行なわれ、これを記念した石碑県境残っている。なお、第二次世界大戦中には牛や馬の峠越えによる物資輸送行なわれた。国道18号碓氷峠区間は、1956年昭和31年)から拡幅改良舗装工事進められていたが、カーブ184個もあることなどから限界があり、交通需要高まり応えるため1971年国道18号バイパスである有料道路碓氷バイパス入山峠を通る、かつての古東山道ルート)が開通した碓氷バイパス2001年11月11日から無料化され、かつての中山道ハイキングコースとして整備された。1993年には上信越自動車道開通したことから、1979年には交通量が2,000台/日あった明治時代新道もその重要性薄れつつある。なお上信越自動車道建設当たっては、同道路内で最長となる全長1,267メートル碓氷橋が、碓氷川などをまたぐように架橋された。

※この「道路の建設」の解説は、「碓氷峠」の解説の一部です。
「道路の建設」を含む「碓氷峠」の記事については、「碓氷峠」の概要を参照ください。

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