鉄道官僚
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1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を次席で卒業。同年11月、高等文官試験に合格し、新渡戸の紹介で内閣拓殖局に就職。翌1911年8月に新渡戸と親交のある後藤新平が初代総裁を務めていた鉄道院へ転じる。翌1912年11月に新渡戸の紹介により後藤の娘・愛子と結婚。 語学に長けていた鶴見は、1911年9月に新渡戸の秘書として初めて渡米、その後も国際会議への出席や後藤・新渡戸らに随行しての海外視察などでたびたび外国へ出張し、その経験をもとに旅行記や随筆を出版した。 1916年12月から、麻布宮村町の自宅に帝大や一高の学生生徒を招き、月に1回、 河合栄治郎をはじめ官・財界の様々な人物を講師とする「火曜会」(別名「ウィルソン倶楽部」)を開催、のちの新自由主義協会設立に発展した。 鉄道省運輸局総務課長 等を経て、1924年2月に鉄道監察官を以って退官。
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