河合栄治郎とは?

河合 栄治郎 (かわい えいじろう)

1891〜1944 (明治24年昭和19年)
経済学者マルクス主義ファシズム果敢に戦う。時代に早すぎた自由主義者
大正昭和前期経済学者自由主義思想家東京都出身東大卒後、農商務省に入るが第1回ILO会議出席辞職1920年大正9)東京帝国大学経済学部助教授となり、のち教授理想主義リベラリズムフェビアン社会主義立場から、マルクス主義ファシズム両方対立そのため著書発禁処分などの弾圧を受け、39年昭和14)には大学を追われ、起訴された。大審院有罪判決を受けた翌年44年死去

 年(和暦)
1894年 (明治27年) 日清戦争 3才
1903年 (明治36年) 江戸開府300年 12
1904年 (明治37年) 日露戦争 13
1907年 (明治40年) 足尾銅山暴動 16才
1910年 (明治43年) 韓国併合 19才
1918年 (大正7年) 米騒動 27
1923年 (大正12年) 関東大震災 32
1928年 (昭和3年) ■初の普通選挙実施 37
1932年 (昭和7年) 五・一五事件 41
1936年 (昭和11年) 二・二六事件 45
1941年 (昭和16年) ■対英米宣戦布告 50


 人物
武者小路 実篤 1885年1976年 (明治18年昭和51年) +6
平塚 らいてう 1886年1971年 (明治19年昭和46年) +5
山田 耕筰 1886年1965年 (明治19年昭和40年) +5
谷崎 潤一郎 1886年1965年 (明治19年昭和40年) +5
松旭斎 天勝 1886年1944年 (明治19年昭和19年) +5
柳 宗悦 1889年1961年 (明治22年昭和36年) +2
古今亭 志ん生 1890年1973年 (明治23年昭和48年) +1
山川 菊栄 1890年1980年 (明治23年昭和55年) +1
近衛 文麿 1891年1945年 (明治24年昭和20年) 0
岸田 劉生 1891年1929年 (明治24年昭和4年) 0
芥川 龍之介 1892年1927年 (明治25年昭和2年) -1
西条 八十 1892年1970年 (明治25年昭和45年) -1
早川 徳次 1893年1980年 (明治26年昭和55年) -2
加藤 シヅエ 1897年2001年 (明治30年平成13年) -6

河合栄治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 02:37 UTC 版)

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。


  1. ^ a b 河合栄治郎「グレート・ワークスの世界 -近現代日本の思想と学問-」、神奈川県立図書館
  2. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年至大正5年』東京帝国大学、1916年、p.120
  3. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正9年至大正10年』東京帝国大学、1921年、p.617
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、p.398
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、p.370
  6. ^ 松井慎一郎『評伝河合栄治郎: 戦闘的自由主義者の生涯』120頁
  7. ^ 河合は3人のほかにも、多くの学者・研究者を育てた。それらの学者・研究者については、「指導を受けた門下生」を参照。
  8. ^ 「河合教授の四著書発禁」(東京堂年鑑編輯部編『出版年鑑 昭和14年版』東京堂、1939年、pp.79-80)
  9. ^ このことを最初に指摘したのは粕谷一希である。粕谷一希『河合栄治郎』日本経済新聞社、1983年。その思想の体系性を指摘し、図解したのは青木育志である。青木育志『河合栄治郎の社会思想体系』春風社、2011年。
  10. ^ このことを最初に本格的に採り上げたのは渡辺かよ子である。渡辺かよ子『近現代日本の教養論』行路社、1997年。教養主義者河合を描いたのは青木育志である。青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年。
  11. ^ 河合の社会思想観については、青木育志『河合栄治郎の社会思想体系』春風社、1911年、61-62頁参照。
  12. ^ 「コミンテルンの崩壊」『社会政策時報』1934年3月。後『コミンテルンの運命』弘文堂、1950年。『マルキシズムとは何か』タイムス出版社、1932年。
  13. ^ 青空文庫「二・二六事件に就て」
  14. ^ 従来その評論に対しては、ファシズム批判と矛盾するとの説と、単に愛国的言動であるとの説があった。前者では名古忠行『フェビアン協会の研究』(法律文化社、1987年)、岩本典隆『近代日本のリベラリズム』(文理閣、1996年)、後者では扇谷正造「一記者の見た河合教授」(『河合栄治郎全集第6巻月報』1968年)、粕谷一希『河合栄治郎』(日本経済新聞社、1983年)あり。最近では松井慎一郎『評伝河合栄治郎』(玉川大学出版部、2004年)、青木育志『河合栄治郎の社会思想体系』(春風社、2011年)あり。
  15. ^ 河合は短い期間に多くの著作を発表した。その多産性とその秘密を指摘したのは青木育志であった。多産性については『河合栄治郎の社会思想体系』春風社、2011年、308-309頁、その秘密については『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年、194-198頁。
  16. ^ 『学窓記』は『学生叢書』への執筆論文を集めたものである。
  17. ^ 河合が指導した学生から多くの学者が育った。その数の多さとその理由について解明したのは青木育志である。青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年、109-112頁。


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