東大阪電気鉄道
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東大阪電気鉄道(ひがしおおさかでんきてつどう)は、かつて大阪府から奈良県一帯にまたがる鉄道路線の敷設を目論み設立された鉄道事業者。五私鉄疑獄事件のうち2つの事件の舞台ともなり未開業に終わった。
注釈
- ^ 田中は先に1924年東阪電気鉄道、1925年奈良急行電気鉄道の発起人総代として殆ど同一路線を出願していたが不急事業若しくは大軌、国鉄に打撃をあたえるとして却下されていた(「大阪市東成区森町奈良市下三条通間鉄道敷設免許ノ件」14頁『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・奈良急行自動車(元東大阪電気鉄道)・失効・』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可))
出典
- ^ 「南海が畿内電鉄を出願」『大阪時事新報』1926年5月13日(神戸大学新聞記事文庫)
- ^ 「私鉄十線に却下の指令」『大阪朝日新聞』1931年10月31日(神戸大学新聞記事文庫)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道の疑獄事件二つ」『大阪時事新報』1929年8月28日(神戸大学新聞記事文庫)
- ^ 「四私鉄関係に涜職罪を認む」『大阪朝日新聞』1934年11月18日(神戸大学新聞記事文庫)
- ^ 小川元鉄相無罪、天岡元総裁は懲役二年『東京日日新聞』昭和8年5月17日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p274-p275 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 一審無罪の小川元鉄相に懲役二年『東京朝日新聞』昭和9年11月18日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p276)
- ^ 昭和11年5月18日登記『鉄道統計資料. 昭和11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道統計資料. 昭和11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 1 東大阪電気鉄道とは
- 2 東大阪電気鉄道の概要
- 3 脚注
東大阪電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:08 UTC 版)
大阪~奈良間の鉄道申請を2度出しながらも、計画の杜撰さを理由に却下されていた東大阪電気鉄道発起人の田中元七が、白井勘助経由で小川大臣に近づいて15万円の報酬を条件に免許交付を約束し、鉄道官僚の京阪電気鉄道などとの競合を理由とする反対意見も廃され、小川が1929年(昭和4年)6月26日に免許を交付したもの。その先月に、15万円の収賄が行われたとされる。
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