京阪梅田線
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梅田線(うめだせん)は、京阪電気鉄道がかつて梅田への乗り入れを目的に計画していた鉄道路線である[1]。
注釈
- ^ 現在の野江 - 吹田 - 山崎 - 淀間に相当。
- ^ 現在の千林駅 - 城北公園(しろきた公園)付近間に相当。
- ^ 現在の城北公園付近 - 梅田駅間に相当。
- ^ 現在の大山崎 - 四条大宮間に相当。
- ^ これは既設線の運営企業による企業防衛策であり、かつ他の泡沫的な計画とは異なり、内容に具体性があるとして比較的容易に交付された。
- ^ 1920年(大正9年)5月15日に鉄道院から鉄道省に昇格。
- ^ 現在のJR西日本大阪環状線の東半分に相当。
- ^ 1920年(大正9年)5月11日に鉄道院を退職。
- ^ もっとも、この天神橋に建設された駅舎は関西初の電鉄駅内蔵型の駅ビルであり、当時大阪市内でも有数の高層建築物でもあって、新京阪鉄道の本社はここに置かれていた。なお、天神橋駅 - 淡路駅 - 千里山駅間は後に阪急千里線となっている。
- ^ 北大阪電鉄線は軌間こそ1,435 mmであったが、架線電圧は直流600 Vで車両限界も小さく、既設区間については鉄橋などについての様々な改良工事や架線電圧の直流1,500 Vへの昇圧工事など大規模な工事を要した。もっとも、長大な淀川橋梁(天神橋駅 - 淡路駅間)については改良に限度があり、このため新京阪で新造したP-6形以降の大型車は橋梁掛け替えまで長く速度制限の対象となっていた。
- ^ 今の千林駅に相当。ただし、位置は現在と異なる。
- ^ 城東貨物線と京阪本線の交点付近で複々線の起点。1970年に天満橋駅までの複々線工事完成に伴い廃止。当時「蒲生駅」を名乗っていた京橋駅とは別の場所である。また開設は免許申請よりも後の1933年。
- ^ 大軌は蒲生駅設置を予定していた。
- ^ 1973年(昭和48年)に阪急電鉄と改称。
出典
- ^ a b 草町義和 (2018年12月22日). “幻になった「京阪電車の梅田行き」 いまなお残るその痕跡(写真11枚)”. 乗りものニュース. 2021年9月9日閲覧。
- 1 京阪梅田線とは
- 2 京阪梅田線の概要
- 3 計画概要
- 4 計画ルート
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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