創業時の展開とは? わかりやすく解説

創業時の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 16:46 UTC 版)

京阪本線」の記事における「創業時の展開」の解説

計画時、大阪側は本来高麗橋起点とする予定が、大阪市圧力天満橋駅変更余儀なくされ(「市営モンロー主義」を参照)、それ以来大阪中心部への乗り入れ京阪悲願となる。 建設当初阪神電気鉄道とともに大阪市電への乗り入れ計画していたが、車体規格の問題などで大阪市難色示しお流れとなったその後戦前には新京阪線後述)との総合ターミナル駅建設による梅田への乗り入れ計画立てられたが果たせず(「京阪梅田線」を参照)、開業から半世紀余り経た1963年4月16日にようやく地下線淀屋橋への乗り入れ果たした京都側も五条(現・清水五条) - 塩小路駅間が住宅密集地で用地確保難航し塩小路駅起点にした営業開始検討された。そこに京都市から鴨川琵琶湖疏水の間の堤防上に軌道設置提案があり、しかも市電用に取得した特許譲渡持ちかけられた。塩小路 - 五条間を報償金5万円、五条 - 三条間を報償金47万円譲り受け、まず五条駅までが建設された(詳細は「京阪60型電車」を参照)。 伏見深草地区では陸軍第十六師団演習支障を防ぐためとの理由深草駅現在の龍谷大前深草駅) - 藤森駅にあった第一軍道 - 第三軍道開業時から道路京阪本線線路を跨ぐ形で立体交差化された(現在、第十六師団駐屯地跡は聖母学院龍谷大学京都府警警察学校京都教育大学などになっている)。 このほか、淀川水系の洪水対策宇治川木津川付け替えられたために橋梁位置変更軟弱な地盤などで軌道敷許可から建設までには10数か所に及ぶ設計変更ルート変更が行われ、1908年9月全線青写真完成同年10月から4工区分けて随時着工され、翌1909年4月には網島工場車庫着工6月には鉄道線電気供給する火力発電所毛馬閘門付近に建設枚方伏見変電所着工した。 そして開業した京阪線は、適用法規軌道条例、後に軌道法)の関係から全区間3分の1併用軌道大阪側に集中していた。また京街道宿場を縫うように造られたためにカーブの多い路線であった当時総務課長として線路選定用地買収当たった太田光熈(のちに社長)の回想では、これでも当局取締役岡崎邦輔介した政府筋への運動により、当初特許から「併用道路三分の一減じて貰」った結果であったという。 1910年4月1日開業日となるはずであったが、直前守口変電所での変圧器火災などで開業15日延期された。ようやく開業こぎつけた4月15日当日車両故障発生して始発電車から立ち往生する事態となり、当時新聞にも酷評されるなど散々な目に遭ったこのため18日までの3日間は運賃半額にするという今では考えられないサービス汚名返上努めた

※この「創業時の展開」の解説は、「京阪本線」の解説の一部です。
「創業時の展開」を含む「京阪本線」の記事については、「京阪本線」の概要を参照ください。

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