創業時のいきさつ
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創業者の古川兼三(ふるかわ・けんぞう 1916年 - 2011年)は京都生まれ。祖父は京都電気鉄道(後の京都市電の一部)に関わる仕事をしていた。父の製紙業を継ぐつもりだったが空襲で焼失、将来を模索することになる。同志社大学経済学部卒業後、機械いじりが得意だったので島津製作所などに勤務した経歴がある。 独立後の開発第一号は自転車用エンジンだったが、不具合がありうまく行かなかった。その後阪急百貨店向けに店内案内の自動広告を作ると、友人が「これを使って、デパートの屋上で子供向け機械を作れないか」と依頼が来た。そして自動紙芝居「ステレオトーキー」を販売するため1955年1月に関西精機を創業。ステレオトーキー(後にビューボックスと名を改める)は数千台を売るヒット作となり、1958年2月に法人化した。 高度経済成長時代ながら10時と15時に必ず休む、週休二日制であるなど、社内の雰囲気は和気あいあいだったと言う。また「優良納税モデル」「輸出安定拡大」「健全娯楽による風俗環境浄化積極推進」などの表彰も多数受けている。
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