ルート選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:38 UTC 版)
高崎 - 長野間のルートでは、高崎 - 長野間をほぼ最短距離で結ぶ鳥居峠経由の「長野原ルート」と信越本線に沿って結ぶ「信越本線沿いルート」が考案された。その後の地質調査の結果、「長野原ルート」では活火山である草津白根山に長大トンネルを建設する必要があり、施工はほとんど不可能であるとされた。そのため、距離は長くなるが沿線人口や利用客の多い「信越本線沿いルート」が採用された。 高崎 - 軽井沢間の標高差は約840 mあり、信越本線は横川駅 - 軽井沢駅間に存在する碓氷峠を66.7 ‰の勾配で通過していた。当時の新幹線規格であった12 ‰勾配で建設するためには延長70 kmの路線を建設して峠を大きく迂回しなければならず、工費や所要時間の拡大につながる。そこで、公団は高崎から左に進み松井田駅上空を橋で通過し、物見山の下をトンネルで抜け、佐久方面に抜ける南回りのルート案を検討したが、当時年間80万人もの観光客を有する軽井沢駅を経由しないため、運営主体となる国鉄から難色を示された。その後、高崎駅を出てすぐ登り始めて30 ‰の勾配で軽井沢へ向かい、中間に途中駅を設けられるよう1 km程度の水平部分を設けるルートが検討された。その後、公団や国鉄内部で車両工学の面からも検討が重ねられた後、1984年(昭和59年)3月20日に北陸新幹線高崎 - 長野間のルートを公表し、環境影響評価を開始した。 長野 - 富山間については途中の経由地が明示されず、国鉄は1975年(昭和50年)頃に北アルプス(飛騨山脈)の直下をトンネルで貫通する短距離ルートの建設も検討したが、火山地域のため高熱となる岩盤や最大2000mに達する「土被り」(地表からトンネルまでの距離)で生じる大量の湧水や「山はね」(岩盤破壊)に耐えながら全長約70 kmに及ぶ超長大トンネルを建設するのは困難として、信越本線や北陸本線に沿って新潟県上越市などを経由する従来のルートでの建設が決定された。
※この「ルート選定」の解説は、「北陸新幹線」の解説の一部です。
「ルート選定」を含む「北陸新幹線」の記事については、「北陸新幹線」の概要を参照ください。
- ルート選定のページへのリンク