ルート選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:40 UTC 版)
「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の記事における「ルート選択」の解説
なお、東京〜青森間の主要ルートは以下の3つがあった。 国道4号を通る内陸ルート(主経由地:草加、春日部、宇都宮、郡山、福島、仙台、古川(現:大崎市古川)、一関、北上、盛岡、二戸、十和田、野辺地など) 国道6号・国道45号などを通る太平洋ルート(主経由地:柏、土浦、水戸、いわき、仙台、石巻、気仙沼、釜石、宮古、久慈、八戸、十和田、野辺地など) 国道7号・国道17号などを通る日本海ルート(主経由地:浦和(現:さいたま市浦和区)、大宮(現:さいたま市大宮区)、熊谷、高崎、前橋、渋川、沼田、湯沢(新潟県)、長岡、新潟、村上、鶴岡、酒田、本荘(現:由利本荘市本荘)、秋田、能代、大館、弘前など) その中から、 国道4号ルートは東京〜青森間の主要ルートであることから渋滞に巻き込まれる可能性があったこと 国道6号・国道45号ルートは距離が長すぎること などから半強制的に国道17号・国道7号ルートが選定された。 1日目 - 東京都中央区スタート、新潟県南魚沼郡湯沢町で宿泊 経由ルート:国道17号 銀座のバイク店にてカブを2台購入し、1台が大泉用で、もう1台が鈴井用であり、札幌のHTBが保有するカブのナンバープレート表記が(東京都の)中央区ナンバーなのは、購入場所の関係上によるもの。二輪車に初めて乗る大泉は店員から操作方法を5分ほど教わった後、北海道目指して出発。途中、埼玉県熊谷市まで渋滞に遭い、予定よりも大幅に遅れる。 御徒町付近の首都高速道路の高架下で(朝の)通勤ラッシュに出くわし、大泉「我々は今帰宅途中」。 雨の達磨寺 - 達磨寺に立ち寄り、おみくじを引く。大泉の引いたくじは「商いならよし」「騒ぐと損」など。その後、大泉のバイク後部には「高崎だるま」が積まれる。 「寒さと風と匂いと危険を感じる」 - 夕方になり、体に浴びる冷たい風と焼肉店からの焼肉の匂い、対向車との危険を感じた大泉が発した台詞。 鈴井、ガス欠によるエンスト - 群馬県利根郡新治村(現:利根郡みなかみ町)の国道17号の上り坂で走行中にエンスト。しばらくは原因不明で2回目のエンスト時はトンネル内で起きたものの、事は藤村Dが給油させなかったことによる「ガス欠」と分かり、越後湯沢の温泉街へ行き一泊する。その後、宿泊地での4人のトークが始まるが、藤村Dから出た言葉「これはテレビ」に酔っていた大泉が、「というより、これはサークルだよ」と反撃し、終了。 2日目 - 山形県酒田市で宿泊 経由ルート:国道17号・新潟県道48号・国道352号・国道402号・国道8号・国道113号・国道345号・国道7号・国道112号・日本海沿いの道路 鈴井が大泉のだるまに対抗して荷台に「魚沼産コシヒカリ」を積む。荷台の荷物にちなみ、大泉が「だるま屋」・鈴井が「米屋」というあだ名で、札幌に向かう。新潟県三島郡出雲崎町では大泉には「毘沙門天」の「毘」をあしらった旗が掲げられ、鈴井には「懸かり乱れ龍」の「龍」をあしらった旗が掲げられた。 「だるま屋ウィリー事件」が発生(後述)。これらの要因が尾を引き、能代まで行くという計画は立ち消えに(というより性能的な関係上無理であった)なり、結局酒田市で泊まることとなった。 夜、宿にて急遽大泉と鈴井、さらにディレクター陣2人で緊急会議が開かれた。4日目の午前9時に間に合うためには3日目の青森午後0時発のフェリーで函館に上陸する必要があるとディレクター陣から伝えられたが、酒田市から青森までは約300kmあり、今までのペースから考えると最低10時間かかることになる。当然、秋田県能代・青森・函館経由ではフェリーに間に合わず、札幌への72時間以内の走破は不可能となってしまうため、国道7号・国道5号を走る案から、本州再横断・国道36号を走る案に変更。 2日目の最初に「新潟県村山市瀬波温泉」のテロップが出されるが、村上市が正しい。なお、これはDVDにいたるまで訂正されていない。 3日目 - 青森県八戸市到着後、フェリーに乗船 経由ルート:国道7号、国道285号、国道103号、国道104号(一部国道4号と重複)、八戸からフェリー 前夜の会議の末、秋田県南秋田郡飯田川町付近の八郎潟(現:潟上市飯田川古開)から南秋田郡五城目・鹿角・青森県三戸郡田子・三戸・南部町(なんぶちょう) といった内陸部を経由して八戸港に向かい、フェリーで苫小牧港に向かうことに(フェリーで船中泊)。 秋田で「なまはげ」の面を鈴井に、青森でねぶたの扇子が大泉の新たな積荷となった。藤村Dは「ねぶたに見つからないように」とコメント。この後で大泉はねぶたの扇子を積んだ。鈴井のなまはげの面と大泉のだるまをみた藤村Dは「民芸の見本市...」ともコメント。 鈴井の荷台にあきたこまちが積まれ、合計35kg積む(コシヒカリ25kgとあきたこまち10kg)。また青森で雨が降ったためD陣が「米屋さん、こめ大丈夫ですか?」と尋ねた。しかし雨に濡れたなまはげのほうが心配された。 再び片側交互通行信号に出くわすが、後述のウィリー事件が原因でトラウマとなっていた大泉は異常にその区間を怖がり、徐行して通って行った(このとき車内で「男らしくねえなぁー」と言ったことに大泉は軽く立腹していた)。 4日目 - 札幌市豊平区ゴール(完走) 経由ルート:北海道苫小牧市で下船、国道36号→途中から羊ヶ丘通経由(当時建設中だった札幌ドームの工事現場が右手に見える) 本編ではHTBへのゴール直前で南平岸駅方向から向かっているが、羊ヶ丘通経由ならば平岸6-14交差点を左折→白石藻岩通でHTBの裏側に出るのが最短ルートであるため、多少遠回りをしている。 第5夜のオープニングは、ロケの数日後に収録されたなまはげ面に扮する大泉の映像に変更(この時包丁には「魔除」と書かれていた)。大泉がゴール後に提案した「藁合羽を纏い、燃えさかる松明の周囲で踊る」という内容で、2002年6月放送の「一挙公開!!未公開VTR&NG集!」の中では、撮影中に松明が大泉の足の近くへ落下するハプニングも放送された。 この企画の前枠・後枠では「プロレスラー」に扮した大泉と安田、そしてonちゃんが登場するが、安田がレスラー役(基本的に覆面レスラー)なのにonちゃんがいたり、大泉がonちゃんに対して相当手加減して攻撃を加えたりしている。これは、onちゃんの中に別の人物が入っているためである。また、同時期には安田が『鈴井の巣』で包茎手術を受けているが、同番組内では「プロレスをやらなければいけないけど大丈夫なのか」と担当医師に相談する姿も放送された。 だるま屋ウィリー事件 ロケ2日目、大泉らが国道345号を新潟県山北町(現:村上市)の勝木(がつぎ、国道7号との交点)まであと少しという地点を走行中に起きた事故。本件を放送した第4夜は第一回どうでミー賞の「名企画部門」で第一位を獲得した。なお、「だるま屋」とは大泉が高崎市に寄った際に購入し、後部の荷台に積んだだるまに由来する。 走行中、大泉らは工事による片側交互通行信号に遭遇したため2分強の待ち合わせをし、信号機が切り替わる5秒前から大泉がカウントダウンを行う。信号が「GO」の表示に切り替わると同時に鈴井は問題なくスタートしたものの、大泉がギアをニュートラルに合わせていたためにスロットルを回したが前に進まず、焦ってスロットルを回したままギアを1速にしたところ、突如ウィリーしながら暴走し、目の前にあった「安全第一」のバリケード(実際にはその手前に置いてあった「→」(赤地に白文字)の案内板)に激突した。この間、信号は再び2分強の待ち時間表示に切り替わっていたため、鈴井のみが先行して進んでしまった。 事故直後、大泉は(失笑しながら)心配する藤村Dに対して「何がですか?」などと事故が無かったかのように白を切っていたが、藤村Dが深く追求すると「大丈夫じゃねぇよ! なまら(北海道弁で「とても」という意味)恐かったよ!!」「死ぬかと思ったよぉ!」と発した。また、先行した鈴井が心配しているのではないかと思い、合流するなり「心配したでしょう? 大丈夫ですよ」と言ったが「何してたの?」と全然心配しておらず、それどころか大泉の説明に対し「いいなぁ おいしいなぁ」「見せるもの、ビジュアル考えているもの」と羨ましがっていた。この際、鈴井に対して説明した「動かないから アレッと思って ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ」という発言は名台詞のひとつとなった。また、大泉は「オレ あの『安全第一』なかったらヤバかったぜ」「(海に)突っ込んでたよ」と続けている。 この事件以来、いつハプニングが起きるのかがわからないのでカメラを止められなくなったという。 激突した「安全第一」のバリケードは藤村Dが直した(エンディングに大泉を助けるため車外へ出る映像もある)が、位置は激突後のままである。 この事件は最初「大泉 洋が天高く昇天するまでの死のカウントダウン」と表示された(ちなみにこの「死のカウントダウン」は片側交互通行信号の待ち時間のことである) 北海道でこの日の模様が放送された『原付東日本 第4夜』は、放送日当日の高校野球が雨天のため中止、その煽りで番組の前に放送が予定されていた『熱闘甲子園』も中止となったため放送時間が繰り上がった。そのため見られなかったという視聴者からの声と、面白いこの企画を多くの人に見てもらいたいという事で一ヵ月後にこの回が「だるま屋ウィリー事件」として再放送された。 インプレスTVのインターネット配信(現在は終了)における番組紹介VTRで、「実際に放送したVTR」としてこのシーンが紹介されていた。 この11年後に制作された原付日本列島制覇 東京−紀伊半島−高知で、この事件を彷彿とさせる片側交互通行信号が登場する箇所があり、この時にも当時の一部始終が流された(なお、映像の後事件当時同様にカウントダウンをして発進し、1箇所目は小ウィリー気味だったが、2箇所目は無事に走り出すことができ、この事件を克服した)。 現場は北緯38度28分22.5秒(38.472913度)、東経139度30分17.6秒(139.504885度)地点。
※この「ルート選択」の解説は、「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の解説の一部です。
「ルート選択」を含む「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の記事については、「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の概要を参照ください。
- ルート選択のページへのリンク