だるま屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/22 09:34 UTC 版)
「見届け人秋月伊織事件帖」の記事における「だるま屋」の解説
吉蔵(きちぞう) だるま屋の主人。通称「だるま屋の吉」。太った、だるまのような風貌の初老の男。年中袖無し羽織をひっかけ、頭には茶人のような頭巾を被っている。天気の悪い日以外は、夏でも冬でも、いつも店の前の往来に筵を敷いて座り、訪れる人々から様々な情報を集めては日記を書き綴っている。 元は工藤吉蔵という名で、上州藤岡の下級武士の出身。壮年にいたって江戸に出てきて、御本丸御広敷の下級役人となり、その後だるま屋を開いた。 お藤(おふじ) 吉蔵の姪。だるま屋が表店を構えた時に田舎から呼び寄せ、店を任せている。色白で細面の娘。 伊織に好意を抱いている。 土屋弦之助(つちやげんのすけ) 見届け人の一人で浪人。酒にも女にも弱く、だらしないところがあるが、なぜか憎めない性格で人情家。報酬が低い仕事には難色を示すが、いったん請け負った調べはきっちりとこなしてくる。 長吉(ちょうきち) 見届け人の一人。元は凄腕と呼ばれたほどの岡っ引きで、探索の腕に長け、足が速い。鳥の鳴き真似がうまく、いざという時にはそれを使って仲間に合図を送る。 文七(ぶんしち) だるま屋の手代。他には奉公人はいない。
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だるま屋
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「見届け人秋月伊織事件帖」の記事における「だるま屋」の解説
江戸の旅籠町にある古本屋兼お記録屋。主人である吉蔵は、幕府の人々、各藩の留守居役や家臣たち、商人や町人農民たちなどから、様々な情報を仕入れ、それを日記に記している。その写しが、諸藩や商店などに回覧、あるいは販売され、その対価によって店は大いに繁盛している。
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だるま屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 15:48 UTC 版)
西武福井店は、福井市地場資本「だるま屋」が発祥。1928年、福井県庁が移転することになり、町が寂れることを危惧した坪川信一が「だるま屋」デパートを建設したのが始まり。創業時は木造2階建て、本館延べ370坪。店員は75名だった。商号は坪川の風貌が「だるま」に似ていたことでつけられた仇名に由来する。建設現場では初日に大文字で「だ」を張り、次の日には「る」、その次の日には「ま」と順に掲示したことにより町の人々の興味を引くことになった。 当時人口10万人以下だった福井市での百貨店経営は無理だとする大方の見方を覆し、初年度から黒字を記録した。福井空襲では、店舗は全焼、1948年(昭和23年)6月復興店舗が完成したが、直後に福井地震で倒壊した。被災直後から仮店舗で営業を継続し、1953年(昭和28年)12月に新店舗が鉄筋3階建て竣工した。屋上の遊園地には回転飛行機やモノレール(ミニ鉄道)、3階には大食堂も設置され、賑わった。
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