新幹線の延伸と赤字の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
「日本の鉄道史」の記事における「新幹線の延伸と赤字の拡大」の解説
東海道新幹線は順調に乗客を増やした結果、その延長である山陽新幹線の建設が行われ、1972年に岡山開業1975年に博多まで開業した。1973年に策定された第二次再建計画は、時の田中内閣の日本列島改造論に影響され、再建計画とは名ばかりの膨大な投資を行う内容であった。 すなわち輸送力が限界に達した東北本線の対策として東北新幹線を建設すると同時に、田中角栄の地盤に向かう上越新幹線や、成田新幹線を同時並行で建設する計画であった。これらの新幹線は(途中で建設中止になった成田新幹線を除き)建設中の狂乱物価の影響を受け、建設費が暴騰しながらも1982年に大宮駅発着で暫定開業した。 当時の国鉄の借入金は上記五方面作戦の設備投資も加えて16兆円にのぼり、この金額は年間運輸収入2.7兆円の6年分に達していた。これらの投資に際し国鉄は国内輸送の根幹を担う設備投資として政府からの出資を要求したが認められず、財政投融資による貸付(借金)が認められただけであった。また収入確保のための運賃改定(値上げ)も政治的判断により遅れることが多く、例えば1972年4月に予定されていた値上げが実施されたのは2年半後の1974年10月であった。
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