私鉄における標準軌・改軌論争の影響とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 私鉄における標準軌・改軌論争の影響の意味・解説 

私鉄における標準軌・改軌論争の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 15:26 UTC 版)

日本の改軌論争」の記事における「私鉄における標準軌・改軌論争の影響」の解説

電気鉄道黎明期にあたる1899年六郷橋 - 大師間に路面電車開業させた大師電気鉄道京浜電気鉄道(現:大師線)は、標準軌採用した国鉄改軌が行われなかったことを尻目に電気鉄道路面電車地下鉄分野では1435mm軌間急速に普及したまた、1905年大阪出入橋 - 神戸雲井通間を開業させた阪神電気鉄道本線は、高速インターアーバン都市間の高速電気鉄道)を目指し標準軌採用した。ただし当時私設鉄道法では標準軌路線敷設認められず、そのため路面電車に本来適用される軌道法拡大解釈することで路線建設した軌道法監督省庁である内務省が、電鉄事業好意的であったことも幸いしたその後近畿中心に軌道法による1435mmの高速電気鉄道続々開業した標準軌採用した電気鉄道中でも、特に近畿私鉄では高速化技術急速に発展しており、戦前高速運転を象徴する事例として、京阪電気鉄道新京阪線(現:阪急京都本線)のP-6形電車が、国鉄最高の特急列車「燕」を山崎付近追い抜いた逸話存在する近畿日本鉄道は、他の近畿私鉄同様に開業時標準軌採用した大阪線山田線等に対し名古屋線国鉄との貨車直通運転前提として開業した伊勢電気鉄道引き継ぐ形で発足して狭軌採用していたため、名古屋から大阪伊勢方面への直通運転ができなかった。その為、1960年改軌実施に向け1957年から準備工事開始した。その準備工事中伊勢湾台風により名古屋線壊滅的打撃を受け、当時佐伯勇社長路線復旧同時に標準軌化断行した詳細同社歴史参照)。 なお改軌論争は、関東私鉄における東京市電1372mm採用した電鉄会社が、昭和中期地下鉄との相互直通運転を行う際の対応で苦慮した所にも見られるその中で都営浅草線及び京浜急行電鉄への乗り入れ実施した京成電鉄は、当初三線軌条四線軌条とする案も上がったものの結局は改軌することになり、1959年大規模な改軌工事行って全線が1435mmに改軌された。また、同じく1372mm採用した京王帝都電鉄京王電鉄帝都電鉄小田急電鉄路線創始とし、狭軌採用した井の頭線を除く)は、都営新宿線建設される際に標準軌への改軌を都や運輸省から打診されたものの、当時急激な沿線発展による乗客急増対応するのに手一杯実現至らず最終的に新宿線京王線軌間合わせる形で建設されることとなった

※この「私鉄における標準軌・改軌論争の影響」の解説は、「日本の改軌論争」の解説の一部です。
「私鉄における標準軌・改軌論争の影響」を含む「日本の改軌論争」の記事については、「日本の改軌論争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「私鉄における標準軌・改軌論争の影響」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「私鉄における標準軌・改軌論争の影響」の関連用語

私鉄における標準軌・改軌論争の影響のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



私鉄における標準軌・改軌論争の影響のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の改軌論争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS