改軌工事
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「関西急行鉄道モ6311形電車」の記事における「改軌工事」の解説
その後、1956年にはロングシートであったモ6316 - モ6320が扉間転換クロスシートに改造され、1959年に実施された名古屋線改軌工事の際には、工期短縮のためモ6315以外のモ6311形の台車が近畿車輛KD-32B・C、モ6331形の台車が同じく近畿車輛KD-32Dへそれぞれ新製交換された。これらのKD-32系台車は、やはり名古屋線改軌用に用意されたKD-31系と同様、線路方向に揺動するのを基本とする短いユニバーサル・リンクで吊られた揺れ枕と、中央にオイルダンパを備える複列コイルばねによる枕ばねで車体を支える構造を採用する、初期の量産シュリーレン台車の一つである。 なお、モ6311形の一部については制御器の日立製作所MMC-H-200-BT電動カム軸制御器への交換が別途実施されている。
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改軌工事
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1956年8月、運輸省(現・国土交通省)が『東京およびその周辺における都市交通に関する第1次答申』を策定する。この答申は東京のターミナル駅における混雑の緩和を狙ったもので、11の地下鉄を整備し、一部での相互直通運転を行うというものだった。この「相互直通運転」の対象となったのは都営地下鉄1号線(現・都営地下鉄浅草線)および京成電鉄・京急である。これにより3者による規格統一に向けての議論が行われるが、規格統一の際に浮かび上がった大きな難題が軌間の違いである。 当時、京成電鉄は軌間1372mmの「馬車軌(偏軌)」、それに対して京急は軌間1435mmの標準軌を採用しており、相互直通運転に際して当然ながら統一する必要があった。ともに運転頻度の高い路線だが、車両数の少ない京成電鉄が対策をとることとなった。この時1372mmと1435mmの三線軌条や四線軌条とする案も挙がったが、車輪やレール同士の干渉など物理的な問題により 結局、全線改軌の方針となった。まず、1959年(昭和34年)春に犬釘をレールの外側に仮打ちする準備工事を実施、改軌工事のスムーズ化を図った。 改軌のテストも合わせて同年8月18日 - 11月30日に同じ1372mmの軌間であった新京成電鉄新京成線の改軌を実施し、この成果を見て改軌工事計画を立案した。 既に京成線は通勤路線として機能しており1日の運休も許されず、また動員できる作業員も限りがあるため、一夜で全車両と線路全線を改軌することもできないことから、全線をいくつかの工区に分けて順次改軌を行い、旅客は2つの軌間が共存する駅で乗り継ぎさせることにした。しかし一夜に工事できる距離は限られているため、駅間隔の長い区間では既設の駅で乗り継ぎさせることができず、京成臼井駅 - 京成佐倉駅間には仮駅となる鹿島川専用乗継場を建設した。そして同年10月9日 - 12月1日に改軌工事を行うこととした。 改軌工事の工程は、 1959年10月9日・10日:千葉線 京成幕張駅 - 京成千葉駅(現・千葉中央駅)間 8.8 km 1959年10月13日・14日:本線 宗吾参道駅 - 京成成田駅間 4.2 km、千葉線 京成津田沼駅 - 京成幕張駅間 4.0 km 1959年10月17日・18日:本線 鹿島川専用乗継場(一般には京成臼井 - 京成佐倉間仮駅と案内されていた) - 宗吾参道駅間 8.0 km 1959年10月20日・21日:本線 京成大和田駅 - 鹿島川専用乗継場間 10.5 km 1959年10月24日・25日:本線 京成津田沼駅 - 京成大和田駅間 9.0 km 1959年10月28日・29日:本線 東中山駅 - 京成津田沼駅間 8.1 km 1959年11月4日・5日:本線 京成高砂駅 - 東中山駅間 8.9 km 1959年11月10日・11日:押上線 押上駅 - 青砥駅間(全線) 5.7 km 1959年11月16日・17日:本線 お花茶屋駅 - 京成高砂駅間 2.8 km、金町線 京成高砂駅 - 京成金町駅間(全線) 2.5 km 1959年11月22日・23日:本線 日暮里駅 - お花茶屋駅間 7.8 km 1959年11月30日・12月1日:本線 京成上野駅 - 日暮里駅間 2.1 km となっており、1工程終了後最低2日以上の準備期間を設けて行うというものであった。 準備が整った10月9日に改軌の第1工程となる千葉線京成幕張駅 - 京成千葉駅間の改軌を開始、翌10日に予定通りに終了し、同区間で最新鋭の3050形による始発列車が運転された。その後、工事は順調に進み、11月30日に最終11工区の京成上野駅 - 日暮里駅間の改軌を予定より2日前倒しして終了、これをもって京成線全線の改軌が終了した。 これと並行して、京成電鉄は軌間1372mmの旧型車両の改軌と東武の協力を得て押上駅の地下化も行い、1960年11月29日の地下化をもって全て終了した。12月4日に都営浅草線浅草橋駅 - 押上駅間が開業し、浅草橋駅 - 東中山駅間で日本初の民鉄・地下鉄の相互直通運転が開始された。
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