改軌工事とは? わかりやすく解説

改軌工事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 17:19 UTC 版)

関西急行鉄道モ6311形電車」の記事における「改軌工事」の解説

その後1956年にはロングシートであったモ6316 - モ6320が扉間転換クロスシート改造され1959年実施され名古屋線改軌工事の際には、工期短縮のためモ6315以外のモ6311形台車近畿車輛KD-32B・C、モ6331形台車同じく近畿車輛KD-32Dへそれぞれ新製交換された。これらのKD-32系台車は、やはり名古屋線改軌用に用意されたKD-31系と同様、線路方向揺動するのを基本とする短いユニバーサル・リンクで吊られ揺れ枕と、中央オイルダンパ備える複列コイルばねによる枕ばね車体支え構造採用する初期量産シュリーレン台車一つである。 なお、モ6311形一部については制御器の日立製作所MMC-H-200-BT電動カム軸制御器への交換別途実施されている。

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改軌工事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:55 UTC 版)

京成電鉄」の記事における「改軌工事」の解説

1956年8月運輸省現・国交通省)が『東京およびその周辺における都市交通に関する第1次答申』を策定する。この答申東京ターミナル駅における混雑緩和狙ったもので、11地下鉄整備し一部での相互直通運転を行うというものだった。この「相互直通運転」の対象となったのは都営地下鉄1号線(現・都営地下鉄浅草線)および京成電鉄京急である。これにより3者による規格統一向けて議論が行われるが、規格統一の際に浮かび上がった大きな難題軌間違いである。 当時京成電鉄軌間1372mmの「馬車軌(偏軌)」、それに対して京急軌間1435mmの標準軌採用しており、相互直通運転に際して当然ながら統一する必要があった。ともに運転頻度の高い路線だが、車両数少な京成電鉄対策をとることとなった。この時1372mmと1435mmの三線軌条四線軌条とする案も挙がったが、車輪レール同士干渉など物理的な問題により 結局全線改軌方針となった。まず、1959年昭和34年春に犬釘レール外側に仮打ちす準備工事実施、改軌工事のスムーズ化を図った改軌テスト合わせて同年8月18日 - 11月30日に同じ1372mm軌間であった新京成電鉄新京成線改軌実施し、この成果見て改軌工事計画立案した。 既に京成線は通勤路線として機能しており1日運休許されず、また動員できる作業員限りがあるため、一夜全車両と線路全線改軌することもできないことから、全線いくつかの工区分けて順次改軌行い旅客2つ軌間共存する駅で乗り継ぎさせることにした。しかし一夜工事できる距離は限られているため、駅間隔長い区間では既設の駅で乗り継ぎさせることができず、京成臼井駅 - 京成佐倉駅間には仮駅となる鹿島川専用乗継場を建設した。そして同年10月9日 - 12月1日に改軌工事を行うこととした。 改軌工事の工程は、 1959年10月9日10日千葉線 京成幕張駅 - 京成千葉駅(現・千葉中央駅)間 8.8 km 1959年10月13日14日本線 宗吾参道駅 - 京成成田駅4.2 km千葉線 京成津田沼駅 - 京成幕張駅4.0 km 1959年10月17日18日本線 鹿島川専用乗継場(一般に京成臼井 - 京成佐倉仮駅案内されていた) - 宗吾参道駅8.0 km 1959年10月20日21日本線 京成大和田駅 - 鹿島川専用乗継場間 10.5 km 1959年10月24日25日本線 京成津田沼駅 - 京成大和田駅間 9.0 km 1959年10月28日29日本線 東中山駅 - 京成津田沼駅8.1 km 1959年11月4日5日本線 京成高砂駅 - 東中山駅間 8.9 km 1959年11月10日11日押上線 押上駅 - 青砥駅間(全線) 5.7 km 1959年11月16日17日本線 お花茶屋駅 - 京成高砂駅間 2.8 km金町線 京成高砂駅 - 京成金町駅間(全線2.5 km 1959年11月22日23日本線 日暮里駅 - お花茶屋駅間 7.8 km 1959年11月30日12月1日本線 京成上野駅 - 日暮里駅2.1 km となっており、1工程終了後最低2日上の準備期間設けて行うというものであった準備整った10月9日改軌の第1工程となる千葉線京成幕張駅 - 京成千葉駅間の改軌開始、翌10日予定通り終了し、同区間最新鋭の3050形による始発列車運転された。その後工事順調に進み11月30日最終11工区京成上野駅 - 日暮里駅間の改軌予定より2日前倒しして終了これをもって京成全線改軌終了した。 これと並行して京成電鉄軌間1372mm旧型車両改軌東武協力得て押上駅地下化行い1960年11月29日地下化をもって全て終了した12月4日都営浅草線浅草橋駅 - 押上駅間が開業し浅草橋駅 - 東中山駅間で日本初民鉄地下鉄相互直通運転開始された。

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