モ6331形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 17:19 UTC 版)
「関西急行鉄道モ6311形電車」の記事における「モ6331形」の解説
第二次世界大戦後、買い出しなどで激増する乗客数に対応するため、鉄道各社ではやはり車両の増備が急務となっていた。だが、国家総動員法の廃止に伴う工場労働力の一時的な激減や、戦争末期のアメリカ軍による無差別爆撃がもたらした工場群そのものの破壊、それに何より資材の致命的な不足により、これらの需要に見合った十分な数の鉄道車両の供給は、極めて困難な状況にあった。 そのため、運輸省と私鉄各社の団体である日本鉄道会の主導により、通常型電車の製造を必要資材が少なく、しかも生産性の高い国鉄モハ63形1形式に集約し、1945年度の後半から緊急度の高い会社から優先的に同形式が配分された。 この際、戦災などで車両の荒廃が著しかった近鉄に対しても、軌間が国鉄と同じ南海線(現在の南海電気鉄道本線)と名古屋線についてモハ63形の割り当てが打診された。しかし、架線電圧が直流600Vと低電圧ではあったものの元々20m級車が運用されていた南海線については機器に降圧改造を施すことで同形式の受け入れが可能であったが、当時の名古屋線には諏訪付近に善光寺カーブと呼ばれる最小半径100mの急曲線区間が存在し、モハ63形のような車体長20m級の車両の入線・走行は事実上不可能であった。それゆえ近鉄は南海線向けとして同形式の割り当てを受ける一方で、名古屋線向けについて割り当てを辞退したが、名古屋線の車両の絶対数が不足する状況には変わりはなかった。そこで、近鉄は名古屋線向けとして戦災で焼失したモニ6251形モニ6251・モニ6255の車籍を活用することでモ6261形として2両、さらにそれと同型の車体を備える制御車を新製扱いでク6321形として5両、合計7両を製造、これらは1947年3月に竣工した。 もっとも、車両製造にかかる状況が多少好転した翌1948年には、いわゆる運輸省規格形電車として部材調達面の制約から機器や寸法などについてある程度の妥協は必要であったものの、モハ63形ではなく各社が戦前に製作していた車両に準じた仕様設計での車両製造が可能となった。このため、モ6261形・ク6321形の製作は合計7両で打ち切りとなり、名古屋線での運用に適した寸法・性能のモ6311形の設計を基本とする17m級2扉セミクロスシート車10両が、運輸省の規格形電車扱いで以下の通り製作された。 モハ6331形モ6331 - モ63351948年11月 近畿車輛製 モハ6331形モ6336 - モ63401948年7月 日本車輌製造本店製
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