台東線改軌計画
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軽便鉄道規格で供用開始した台東線であったが、1967年に花蓮管理処より1,067mmへの改軌計画が提出され、台東線の輸送力強化が計画された:頁97。しかし、この時は計画は見送られ、南廻線による環島鉄道計画が立案されてから具体化の方向となった。 1978年7月1日、改軌工事が開始されたが:頁97、工事は既存鉄道を運行しながらの同時進行であったため、その輸送力確保は困難を極めた。ナローゲージの線路の両側に1,067mm軌道を設置する四線軌条で工事を進め、また鉄道敷設には適当でない場所に関しては新線を建設した。当初は同時期に完工した北廻線と田浦駅、のちに吉安駅での乗換えという形だったが、1982年6月26日に全線改軌工事は完了し:頁98、翌日台北方面からの直通列車が運行されるに至った:頁98。また、舞鶴~三民間の自強トンネル工事は予定より遅れ、1984年末に完成し、1985年元旦に開通した:頁98。 切替直前の四線軌道
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