私鉄との連絡輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:45 UTC 版)
脇浜町では阪神国道線とレールが繋がっており、毎年11月に行われた「みなとの祭」(神戸まつりの前身)の時には花電車が同線山打出まで直通運転していた。また、須磨駅前から先は、山陽電鉄が電鉄須磨駅(現山陽須磨駅)西方で国道2号線上に入り、電鉄塩屋駅(現山陽塩屋駅)東方まで併用軌道だったことから、一時期は山陽電鉄ともレールが繋がっていた。戦時下の1944年、両接続点から戦時輸送のため市電車両が阪神国道線・山陽電鉄に乗り入れることとなった。野菜などの物資の輸送を主目的としていたが、阪神側は余り実施されず、山陽側も車輪フランジの高さが相違していたことにより、ポイントで電車が乗り上げてしまったため試運転数回のみで取りやめになった。終戦直後に山陽電鉄が戦災や風水害で車両不足に陥った際には、この連絡線を使って市電から500形が乗り入れて兵庫 - 須磨寺間で運用されたことがあった。
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