私選弁護人の辞任
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「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「私選弁護人の辞任」の解説
1975年(昭和50年)3月17日、大分地裁で初公判が開かれた。検察側の「母子家庭を物色して(妻)と結婚し、その翌日から妻子に多額の保険金をかけ、妻子を交通事故を装って殺害し、保険金を詐取しようと計画。妻子三人をドライブに連れ出して自分の運転する車で海中に転落し、妻子を溺死させた」とする起訴状の朗読に対して、荒木は「ヘタな作文の棒読みはやめろ!」と声を上げ、続く罪状認否では「下司のかんぐりだ。人権侵害もはなはだしい。」と全面的に否認した。初公判後、大分地検検事正は「検察側としては、最大のポイントである荒木の運転による殺人の実行行為を立証して見せる。裏付けとしては、牧角三郎九大教授と松倉豊治阪大名誉教授の鑑定書、横浜での転落実験データ、さらに目撃者の証言で組み立てていけると思っています。」と自信を見せ、木村弁護士は「荒木は無罪です」、「新聞や一部の週刊誌を使って世論を荒木が殺人犯のようにもっていこうとする。こんなことは許されるべき事ではないんですよ。」と語気を強めた。 しかし、4月16日に行われた第2回公判で、木村弁護士は、ほかの事件も多数抱えている中でこれほどの大事件を一人では担いきれないと弁護人辞任の意向を示した。当時木村弁護士は71歳。井上正治弁護士や大分県弁護士会副会長の浜田英敏弁護士などに声をかけて弁護団の結成を目指したが、資金不足から断念したという。 裁判所は急遽国選弁護人を選任することとなり、大分県弁護士会の推薦した7名の候補のうち2名が辞退するなど難航したものの、山本草平・徳田靖之・小林達也の3弁護士を5月27日に国選弁護人に選任した。荒木は「(木村)先生がやって死刑になるならあきらめる」が「国選弁護人は信用しない」と言い、選任された弁護団に「法廷において出来ること(すなわち書証の認否や証人尋問など)は、被告人自身でもってやるから、先生がたは何もしていただかなくて結構です。そのかわり法廷で出来ないこと(すなわち身柄を拘束されている被告人に出来ないこと)のみをお願いします。」と言い放った。また、木村弁護士同様、国選弁護人のもとにも「なぜあんな悪党の味方をするのか」、「この先弁護を続けるなら、お前を殺すぞ」といった電話や脅迫状が届いた。
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