第2回公判(以降は分離公判)
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「大牟田4人殺害事件」の記事における「第2回公判(以降は分離公判)」の解説
2005年4月12日に第2回公判が開かれ、起訴事実をすべて認めたK2・K4両被告人と単独犯を主張したK1・逃走以外の罪を全面否認したK3の両被告人はそれぞれ「K2・K4」「K1・K3」の2組に分かれて分離公判で審理されることとなった。検察側は被害者Aらの殺害に使われたとされる凶器などを証拠提出した上で、極刑を望む被害者遺族の供述調書を朗読した。また検察側の証人申請に基づき、K1・K3両被告人の次回公判(2005年4月26日)で被告人K2が、K2・K4両被告人の次回公判(2005年5月17日)で被告人K3がそれぞれ証人出廷し、証人尋問が行われることが決定した。
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第2回公判
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「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「第2回公判」の解説
9月21日、第2回公判が開かれた。 同日は証人尋問が行われ、分離公判中だった共犯被告人Mが検察側の証人として出廷した。 被告人Mは「宮城刑務所に服役中だった1990年代半ば、小田島被告人から犯行に誘われ、出所後に本事件を実行する約束をした」と説明した。 その上で、小田島被告人が1990年に起こした練馬三億円事件についても触れた上で、「出所後の生活に不安もあったため、小田島被告人の『実績』を信じ、計画に乗った」と語った。 一方、本事件後の2002年秋に起こした目黒区・我孫子市の両事件について、被告人Mは「本事件で得た遊興費が尽きたため、自分の方から、再び『資産家を狙おう』と催促した」と述べた。 また被告人Mは、「黙秘の合言葉として『森の石松』を使っていた」ことを明かした上で、「マブチ事件の取り調べ中、隣室にいた小田島被告人が突然『森の石松』と叫んだ」とも証言した。その上で被告人Mは「小田島が自分に対し、口止めを求めてきたことは分かったが、事件の被害者遺族に申し訳ないと思い、犯行を認める供述をした」と述べた。
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