第2回凱旋門賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
1921年、2回目の凱旋門賞は賞金が倍になり、優勝賞金は約34万フランとなった。しかしこの年は、フランスダービー馬のクサール(Ksar)がパリ大賞で英国馬に惨敗し、前年のフランスダービー馬スールビエ(Sourbier)も共和国大統領賞でイギリスのハンデキャップホースに敗れ、フランスとイギリスのサラブレッドの間にはかなりの実力差があるとみなされた。そのためこの年もイギリスから一流馬の参戦はなかった。クサールは凱旋門賞の直前に復調し、本命(2倍)となった。これに続いたのがイギリスのスクエアメジャー(Square Measure)だったが、創設間もない大レースのため主催者の不手際があり、出走前に2回もスタンド前を行進させられて興奮し、スタート前に暴走してしまった。同様にイギリス牝馬のブルーダン(Blue Dun)も騎手の制御が効かなくなって、レースが始まると2400メートルの競走とは思えないスピードで先頭を切った。ブルーダンは最終コーナーを待たずに失速したが、これにかわって先頭に立ったのはクサールで、そのまま押し切って優勝した。創設2年目にして初めてフランス産馬が凱旋門賞優勝を果たすことになったが、クサールの生産者は前年の覇者コムラッドの馬主だったサンタラリであり、彼は2年連続で優勝馬の関係者となった。
※この「第2回凱旋門賞」の解説は、「凱旋門賞」の解説の一部です。
「第2回凱旋門賞」を含む「凱旋門賞」の記事については、「凱旋門賞」の概要を参照ください。
- 第2回凱旋門賞のページへのリンク