弁護団の結成とは? わかりやすく解説

弁護団の結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)

極東国際軍事裁判」の記事における「弁護団の結成」の解説

GHQ1945年昭和20年11月には戦犯容疑者非公式弁護人探すことを許可していた。 日本人弁護団 日本人弁護団は、団長鵜澤總明弁護士とし、副団長清瀬一郎逸郎、穂積重威、瀧川政次郎高柳賢三三宅正太郎(早期辞任)、小野清一郎らが参加した極東国際軍事裁判日本弁護団」が結成された。しかし、日本人弁護団内部では、自衛戦争論で国家弁護をはかる澤派(清瀬ら)と個人弁護を図る派(高柳穂積三宅)らがおり、さらに国家弁護内部でも澤派と清瀬派の対立などがあった。日本人弁護団の正式結成開廷翌日1946年昭和21年5月4日であったアメリカ人弁護団 ニュルンベルク裁判では弁護人ドイツ人しか許されなかったが、東京裁判ではアメリカ人弁護人任命された。日暮吉延によればこれは「勝者による報復批判免れるめだったとする。 1946年昭和21年4月1日結成されアメリカ人弁護団団長海軍大佐ビヴァリー・コールマン(横浜裁判裁判長)。弁護人としては海軍大佐ジョン・ガイダーほか6名であった。しかしコールマン主席弁護人を置くようマッカーサー求めたところ、受理されず、コールマンらは辞職する実際には、アメリカ本国でもっと有利な仕事見つけたためとする説もある。変わって陸軍少佐フランクリン・ウォレン、陸軍少佐ベン・ブルース・ブレイクニーらが派遣され新橋第一ホテル宿舎とした。 陸軍少佐フランクリン・ウォレン(土肥原、岡、平沼担当陸軍少佐ベン・ブルース・ブレイクニー日本語解した東郷梅津担当ジョージ山岡日本語解した東郷担当) ウィリアム・ローガン(木戸担当) オーウェン・カニンガム(大島浩担当陸軍中尉アリスティディス・ラザラス(畑担当デイヴィッド・スミス広田担当) ローレンス・マクマナス(荒木担当予備海軍大佐リチャード・ハリス日本語達者であり、弁護管理主任務めた橋本担当) ジョージ・キャリントン・ウィリアムス(星野担当) フロイド・マタイス(板垣松井担当) マイケル・レヴィン(賀屋興宣鈴木担当) ジョゼフ・ハワード(木村担当) アルフレッド・ブルックス(小磯、南、大川担当) ロジャー・コール(武藤担当) ジェイムズ・フリーマン(佐藤担当) 陸軍大尉ジョージ・A・ファーネス重光担当) エドワード・マクダーモット(嶋田担当) チャールズ・コードル(白鳥担当) ジョージ・ブルウェット(東條担当ジョン・G・ブラナン(永野担当

※この「弁護団の結成」の解説は、「極東国際軍事裁判」の解説の一部です。
「弁護団の結成」を含む「極東国際軍事裁判」の記事については、「極東国際軍事裁判」の概要を参照ください。

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