昭和中期とは? わかりやすく解説

昭和中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 14:40 UTC 版)

新婚旅行」の記事における「昭和中期」の解説

1947年昭和22年)の大幅な民法改正により、夫婦対等な個人同士となった加えて1959年昭和34年)に皇太子明仁親王正田美智子が、翌1960年昭和35年)に清宮貴子内親王島津久永が、それぞれ結婚した際には「恋愛結婚であった大々的報じられ若者結婚観変化していく。昭和30年代から40年代にかけ、恋愛結婚割合増加し見合い結婚上回るようになった加えて同時期は、日本高度経済成長期にあり、婚姻数の増加消費拡大背景に、結婚式自宅ではなく式場ホテル行われ、さらに旅行会社による「セット旅行」として商品化され、利用されるようになった関西では和歌浦[要出典] 、関東近傍では伊豆箱根熱海などの温暖な温泉地人気があった。1959年昭和34年)には、国鉄新婚カップル用のことぶき周遊券発売した当初601キロ以上が適用)。 さらに、宮崎県絶大な人気集めるようになり、最盛期1974年昭和49年)には婚姻100万組のうち約37組が同地訪問した宮崎県1960年昭和35年)に島津貴子・久永夫妻新婚旅行同地訪問、さらに1962年昭和37年)に皇太子美智子妃夫妻が行啓したことで注目されメディアにより憧れの地と言うイメージ高まった宮崎県国鉄宮崎交通も、戦前期の「皇祖発祥の地」から転換迫られていた背景もあり、フェニックスカナリーヤシ)の植樹はじめとするリゾートイメージの形成力を入れ新婚旅行客を誘致したまた、映画百万人の娘達』やNHKドラマたまゆら』等のメディアにより相次いで南国イメージ強調普及していった。1967年昭和42年)から 1972年昭和47年)には、宮崎県への新婚旅行客向けに、大阪 - 宮崎間に臨時急行列車ことぶき」号が運行された。一般的な訪問ルートに、青島神社鵜戸神宮の子祈願南国情緒あるこどものくにサボテン公園散策、さらに都井岬挙げられるこの他東京からは、伊豆また箱根へ1から2泊程度の短い旅程や、宮崎同様に南国情緒売りにした和歌山県白浜南紀白浜)への京都経由5日旅程人気があった。 これら観光地旅館も、防音設備のある部屋や、花嫁恥ずかし思いさせない気遣い等のサービス充実させていた。鉄道では、国鉄私鉄問わず快適な特急列車運行され主要駅には新婚カップル見送り客が溢れ車内窓側女性通路側男性一線に並ぶ活況呈していた。

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昭和中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:57 UTC 版)

東海道本線」の記事における「昭和中期」の解説

1945年昭和20年)に日本敗戦迎える。その後の混乱期には、電力不足や蒸気機関車を動かすための石炭不足した上に、連合国軍専用車両の導入などもあり列車ダイヤ乱れ一時特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態にもなった。また客車不足のために貨車による旅客輸送が行われたりもした。 1948年昭和23年)にようやく急行列車復活1949年昭和24年)に公共企業体としての日本国有鉄道発足後戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始(のちに「つばめ」改称)、また電化区間沼津駅から西へ再び延伸始めた1950年昭和25年)は「つばめ」加えて特急「はと」が登場し戦時中延びていた所要時間戦前水準にまで短縮された。また東京口では客車普通列車電車化され“湘南電車”の運行開始されている。 1956年昭和31年)、東海道本線全線電化完成した。これによって特急「つばめ」「はと」は東京駅 - 大阪駅7時30分となる。1958年昭和33年)には20系客車による寝台列車ブルートレイン)が運行開始。また151電車使用した初の電車特急「こだま」運行開始し東京駅 - 大阪駅間を6時50分、東京駅 - 神戸駅間を7時20分で結んだ1960年昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化され、従来展望車代わるパーラーカー連結された。このほかにも優等列車多数増発されていった貨物列車では1959年昭和34年)に高速コンテナ列車「たから」の運行開始された。一方このころ高度経済成長東京オリンピック(1964年)開催決定を受け輸送力増強のための線増計画持ち上がり標準軌による別線建設決定1959年昭和34年)に着工始まり、これが東海道新幹線として開業することとなる。

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昭和中期(1955年-1964年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:16 UTC 版)

日本のダムの歴史」の記事における「昭和中期(1955年-1964年)」の解説

1952年昭和27年)、サンフランシスコ平和条約締結により日本連合国軍最高司令官総司令部占領から解き放たれた。朝鮮戦争による特需景気日本の奇跡復興序曲となりその後1960年代高度経済成長へと突き進んでいった。経済成長に伴い道路・鉄道港湾始めさまざまなインフラストラクチャー整備大規模に計画着手されていったダム事業においても、この時期日本のダム事業史に残る大規模プロジェクト多く手掛けられた時期でもあった。

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