連合国軍専用車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)
横須賀線では終戦時にも二等車が運転されていたが、32系はサロ45形5両(45004, 45005, 45007, 45008, 45012)のみであったため、1945年12月にサハ48形3両(48005 - 48007)が代用二等車となった。 1946年9月に、代用も含めた二等車8両全車が連合国軍に接収され、まず11月にサロ45形5両が「ALLIED FORCES SECTION」として白帯車となり、特別室を撤去して車端部に簡易仕切りを設けて赤十字輸送に充当され、代用二等のサハ48形3両も1か月後にサロ45形に準じて改装されたほか、11月には48008が全室連合軍専用車として追加で接収されている。これらの車両は1947年2月に仕切りを撤去して「ALLIED FORCES CAR (AFC)」となり、さらに、同年末には、追加でサハ48形10両(48001, 48002, 48007, 48009,48012, 48016, 48022, 48024, 48027, 48028)がAFCとなった。その後1951年1月1日時点ではサロ45形2両(45007, 45012)とサハ48形8両(48001, 48002, 48008, 48009, 48012, 48016, 48022, 48028)が連合軍専用車となっており、最終的には横須賀線用の連合軍専用車は32系18両(サロ45形5両、サハ48形13両)に他系列車8両を含めて延べ26両となった。 サハ48形のボックスシートは日本人より体格の大きい連合国軍軍人にとっては狭すぎたため、ボックスシートを撤去して全長にわたってロングシートに変更し、車内は薄い緑色と緑がかったクリーム色に塗装された。 1952年3月15日のサンフランシスコ講和条約の発効を前に連合軍専用車が廃止された。
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