連合国軍出動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 02:34 UTC 版)
1947年に計画されていた二・一ゼネストは、官公庁の大型労働争議であっただけに、GHQ/SCAPが介入するためには、「国民の福祉に反する」という一応の理由があった。また、中止方法も指導者に中止を放送させるという、強引だが「平和的」な解決策をとった。ところが、この事件は一企業の労働争議であったにもかかわらず、裁判所の仮処分を拒否したと見ると、武力を以って労働運動を解散させるという荒業を行った。 二・一ストの際、最高司令官マッカーサーは翌年の大統領選挙に共和党から出馬するつもりで、アメリカ合衆国民の目線を非常に気にしていた。当時共和党は労働組合が大きな支持基盤となっており、日本の労働運動を露骨に弾圧して評判を落としたくなかったため、スト決行の直前まで、直接動くことはなかった。まして、軍を出動させることはもってのほかであった(マッカーシズム及び赤狩りの時代を除き、アメリカ合衆国でも共産党は合法でありアメリカ共産党が政党として存在する。なお、かつてマッカーサーは、ワシントンD.C.に集まった退役軍人のデモを、共産党に操られているとして武力で解散させたことがある)。 しかし、1948年6月の共和党大統領候補の予備選挙でマッカーサーは惨敗してしまい、候補に選出されなかった。このときからマッカーサーはアメリカ国民の目を気にせずに済むようになり、東宝争議はその時期に重なって強制解散させられたとするものである。 また、1948年8月は、ベルリン封鎖問題などでソビエト連邦率いる共産主義勢力が席巻していた時期であり、ソ連と共産主義者による横暴を容認できないアメリカとしては、日本での共産主義的な芽も早いうちに摘んでしまいたかったとの見方もできる。どちらにせよ、GHQ/SCAPがもはや共産主義陣営の影響を受けた労働運動に味方しない事を誇示した事件でもあった。
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