連合国軍の空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 17:59 UTC 版)
1月26日、オーストラリア空軍の2機のハドソンがエンドウの北で船団を発見。イギリス空軍は稼動機すべてを投入して船団を攻撃することを決定した。 最初の攻撃はイギリス空軍第36および第100飛行隊のヴィルデビーストとオーストラリア空軍第1および第8飛行隊の飛行隊のハドソンにより行なわれた。ヴィルデビースト12機とハドソン9機がシンガポールより発進し、護衛の戦闘機は12機のF2Aバッファローと9機のホーカー ハリケーンであった。この攻撃ではヴィルデビースト5機が失われ、日本側も九七式戦闘機1機が撃墜されている。続いて第36飛行隊のヴィルデビースト7機、フェアリー アルバコア3機と第100飛行隊のヴィルデビースト2機がシンガポールより発進したが、護衛の戦闘機(ハリケーン7機とバッファロー4機)は遅れ、攻撃隊は戦闘機の到着前に日本軍機の迎撃を受けた。この攻撃ではヴィルデビースト5機、アルバコア2機とハリケーン1機が失われた。 3度目の攻撃はパレンバンより発進したイギリス空軍第62飛行隊のハドソン6機により行なわれ、2機を失った。パレンバンよりの次の攻撃隊は日没までにシンガポールまでしかたどり着けず、攻撃を断念した。 これらの空襲による日本側の被害は、「関西丸」で重傷一名、軽傷十数名、「かんべら丸」で戦死8名、負傷7名であった。また、空襲を受けながらも揚陸は順調であった。
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