連合国軍による追撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 07:03 UTC 版)
「オトラント海峡海戦 (1917年)」の記事における「連合国軍による追撃」の解説
各所からの報告によりオーストリア=ハンガリー帝国海軍による攻撃が行われていることを知ると、イタリアのアルフレッド・アクトン提督 (Alfredo Acton) はブリンディジ在泊の艦艇に出撃準備を命じた。加えて、アドリア海で哨戒任務に就いていた、イタリアの偵察艦カルロ・ミラベロ (Carlo Mirabello)とフランスの駆逐艦コマンダン・リヴィエール(Commandant Rivière)、ビッスン(Bisson)、シメテレ(Cimeterre)からなる部隊(以下ミラベログループ)に南へ向かうよう命じた。ブリンディジからはまずイギリスの軽巡洋艦ブリストルがイタリアの駆逐艦ロソリーノ・ピロ(Rosolino Pilo)とアントニオ・モスト(Antonio Mosto)を伴って出撃した。続いてイギリスの軽巡洋艦ダートマスとイタリアの駆逐艦シモーネ・シアフィーノ(Simone Schiaffino)とジョヴァンニ・アチェルビ(Giovanni Acerbi) が出撃し、その後に偵察艦アキラ (Aquila) が出撃した。これらの艦艇は合流し(以下ダートマスグループ)、オーストリア=ハンガリー帝国艦隊のほうへと向かった。ダートマスグループはアクトンが直接指揮していた。 最初はミラベログループがオーストリア=ハンガリー帝国の巡洋艦と遭遇した。短時間の交戦後、ミラベログループはオーストリア=ハンガリー帝国の巡洋艦から離れた。次はオーストリア=ハンガリー帝国の駆逐艦チェペルとバラトンがダートマスグループの先頭を行くアキラと遭遇し、交戦した。この交戦でアキラは被弾し、航行不能となった。この後チェペルとバラトンはイタリア駆逐艦の追跡を振り切りドウラッツオ (Durazzo) へ逃げ込んだ。損傷したアキラはSimone Schiaffinoに曳航され、ロソリーノ・ピロ(Rosolino Pilo)とシメテレ(Cimeterre)に護衛されて帰投した。 一方、ホルティは東へ向かう煙を発見し、続いてダートマスグループを発見した。ホルティは最初の煙をチェペルとバラトンだと判断しており、それらから敵を引き離そうとしてダートマスおよびブリストルと戦闘に入った。またホルティは援軍を求め、それを受けて装甲巡洋艦ザンクト・ゲオルクが駆逐艦タトラ(Tátra)・ワラスディナー(Warasdiner)および水雷艇4隻を伴ってカッタロから出撃した。戦闘は両軍が単縦陣をなし、北へ向かいながら行われるかたちとなった。ホルティの巡洋艦はノヴァラが先頭でその後にヘルゴラント、サイダの順で続いた。連合国軍側はダートマスが先頭でその後にブリストル、Giovanni Acerbi、アントニオ・モスト(Antonio Mosto)が続いた。しかし、艦底の状態が良くなくて抵抗が大きかったブリストルの速度は遅れていった。一方、オーストリア=ハンガリー側でも速度の遅いサイダが遅れた。また、ノヴァラが被弾による被害で速度が低下した。 ダートマスはブリストルが追いつくのを待った後、サイダに攻撃を集中した。さらにこの頃ノヴァラはついに停止してしまい、オーストリア=ハンガリー帝国軍は危機に陥ったが、間もなく装甲巡洋艦ザンクト・ゲオルク以下の増援部隊が接近し、それに気づいたイギリスの軽巡洋艦は追撃をやめ反転した。
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