連合国軍の更なる進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 05:09 UTC 版)
「イタリア侵攻 (第二次世界大戦)」の記事における「連合国軍の更なる進軍」の解説
サレルノの海岸堡の安全が確保された後、9月19日に第5軍は北西のナポリへ向かって攻撃を開始した。第82空挺降下師団は、アルタヴィッラ・シレンティーナ近くで大損害を受けた後、第10軍団に配置換えされ、ソレント半島にいるレンジャー部隊及び、イギリス第23機甲旅団と合流し、イギリス第46歩兵師団が攻撃している、ノチェーラのドイツ軍の防衛線を側面から攻撃した。イギリス第7機甲師団は、第46師団がいる地点を通過し、ナポリ占拠に向かった。一方、新たに上陸したアメリカ第3歩兵師団が9月22日にアチェルノを占領し、9月28日にアヴェッリーノを占領した。 第8軍は「つま先」からドイツ軍の工兵による妨害に出会いながらも順調に進軍を続け、アドリア海の海岸で第1空挺降下師団と合流することができた。9月16日には第5軍の右翼と戦線の左翼で出会い、9月27日にはフォッジャ近くの飛行場を占領しながらアドリア海の海岸沿いを前進した。フォッジャは、複雑な大規模な飛行場があり、この飛行場を使用して、フランス、ドイツ、バルカンにある新たな目標を攻撃可能であるため、連合国軍の目標となっていた。 第1国王近衛竜騎兵連隊のA部隊は10月1日にナポリに入り、3個イギリス陸軍師団、5個アメリカ陸軍師団より構成される第5軍は、10月6日にヴォルトゥルノ川に到達した。ここは、ドイツ軍の反撃から、ナポリを守る自然の防御線で、カンパニアン平原と必要不可欠な飛行場が存在した。一方、アドリア海沿岸では、イギリス第8軍がビフェルノ川沿いのカンポバッソから、ラリーノとテルモリにかけての線まで前進した。
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