連合国軍で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:05 UTC 版)
「リシュリュー (戦艦)」の記事における「連合国軍で」の解説
アフリカのフランス陸海軍は1942年11月に連合国軍に参加した。前述の戦闘で損傷した「リシュリュー」はニューヨーク海軍工廠で完工工事及び改修を受けるため1943年1月30日にダカールを出航した。改修は1943年10月10日に完了した。改修内容は、当初装着されていたオチキス37mm機関砲および13.2mm機銃に替えて、アメリカ式の対空兵装の装備(40mmボフォース対空機関砲四連装14基、20mmエリコン機銃単装48基)が行われた。また、「リシュリュー」の主砲弾を製造するため、特別の工場ラインが建造された。「リシュリュー」は10月14日にメルセルケビールに向けて出航し、続いてスカパ・フローに向かい、11月20日に到着した。 「リシュリュー」は1943年11月から1944年3月イギリス本国艦隊に所属した。1944年2月10日から12日にはポストホーン作戦に参加した。これは空母「フューリアス」搭載機によるノルウェー北部でのドイツ船舶攻撃であった。2月後半にももう一度同様の作戦(ベイリーフ作戦)に参加したが、この時は駆逐艦の衝突事故のため延期となり、最終的に作戦は中止となった。 1944年3月、「リシュリュー」はイギリス海軍東洋艦隊に配属された。「リシュリュー」はスエズ運河経由でインド洋へ向かい、4月10日にトリンコマリーに到着した。「リシュリュー」は4月はコックピット作戦(サバン空襲)、5月はトランサム作戦(スラバヤ空襲)、6月はペダル作戦(ポートブレア空襲)に参加した。7月、「リシュリュー」はクリムズン作戦に参加し、25日に他の戦艦などと共にサバン砲撃を行った。 9月、「リシュリュー」は整備のためインド洋を離れた。「リシュリュー」は10月10日にカサブランカへ到着して整備などを受けた後、1945年3月20日にトリンコマリーに戻った。インド洋に戻った「リシュリュー」は4月から5月にかけてサンフィッシュ作戦とビショップ作戦に参加した。サンフィッシュ作戦では4月11日にサバンを砲撃し、ビショップ作戦では4月29日から5月2日にかけてカーニコバル島やポートブレアを砲撃した。続いて日本海軍の重巡洋艦「羽黒」の迎撃作戦(デュークダム作戦)に参加したが、「リシュリュー」は「羽黒」撃沈には関与しなかった。「羽黒」は5月16日のペナン沖海戦で駆逐艦部隊によって撃沈された。 「リシュリュー」は7月18日から8月10日までダーバンに滞在し、その間にドック入りして修理を受けた。そして、「リシュリュー」は日本の降伏後に「トリンコマリー」に帰還した。9月に「リシュリュー」はイギリス軍のマレー半島再占領を支援した。この任務期間中の9月9日に「リシュリュー」は磁気機雷に接触し損傷したが軽微であった。
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