供給および兵站
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 09:04 UTC 版)
「アメリカ連合国陸軍」の記事における「供給および兵站」の解説
連合国陸軍の兵站事情は、彼らが優勢を保っていた時ですら劣悪であった。連合国陸軍では、かつてアメリカ独立戦争を戦った大陸軍のように、兵員の供給は中央政府よりも州政府がその責任の大部分を負っていた。中央政府の権威の欠如、貧弱な鉄道網(英語版)、しばしば起こった州政府の軍資金調達の失敗など、様々な要素が連合国陸軍を崩壊へと導いた。こうした劣悪な兵站状況に加え、連合国内の縫製工場不足と合衆国による海上封鎖の成功により、連合国軍では制服の調達すらままならなかった。連合国軍の行進やパレードでは標準制服に加え、傷んだ標準制服を自前で仕立て直したもの、自家製の染料で染め上げた手織りのもの、さらには何の変哲もない平服すらも代用制服として使用された。また戦闘の後に回収された合衆国軍の遺棄物資を漁ったり、合衆国軍将兵の死体や捕虜から奪うことで軍服を調達する者も多く、これはしばしば些細な小競り合いや衝突を引き起こした。兵員の調達を各州政府が担当していた事も、このように多くの異なる軍服が用いられる原因となった。さらに各州政府は独自の服装規定や記章を定めていた為、連合国陸軍の「標準制服」ですら州ごとに多種多様な差異が生まれる事につながった。連合国軍将兵は軍服以外にも軍靴やテント等の様々な軍装品の不足に悩まされ、集落からの徴発品やありあわせのもので作成した代用品で間に合わせる事が多かった。将校の多くは下士官兵よりは恵まれた立場にあったものの、彼らはしばしばその特権を捨てて自らの部下と苦労を共有する事を選んだ。 戦争が進むにつれて、連合国軍では十分な食料の配給を達成することができなくなった。1863年に下されたリー将軍の命令により、連合国軍の指揮官らは食料調達任務に多くの時間を費やすようになる。彼らの調達活動は「物乞い、借りる、盗む」(beg, borrow or steal)という言葉で表現され、占領した合衆国軍の陣地や集積所、南北双方の集落がこの対象となった。リー将軍が指揮したゲティスバーグおよび南ペンシルバニア農業地域への攻勢も、食糧を始めとする各種物資の供給事情を解消することが主な目的だった。こうした連合国軍の略奪に対する合衆国民の報復感情は、ウィリアム・シャーマン将軍の総力戦戦術への支持につながった。以後、合衆国軍はしばしば焦土作戦を展開し、海上封鎖と共に連合国の軍民を共に飢えさせた。南北戦争を通じた連合国軍戦死者のうち、多くが餓死者あるいは食料不足に基づく戦病死者であった。戦争末期には食料不足を理由に無数の脱走兵が生まれた。
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