零戦三二型(A6M3)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 13:41 UTC 版)
「零式艦上戦闘機の派生型」の記事における「零戦三二型(A6M3)」の解説
三二型は実用化後初の大規模な改修が施された性能向上型であり、1942年4月頃から量産が開始され、同年秋頃には実戦投入された。エンジンを2速過給機付きの栄二一型(離昇1,130hp)に換装し、二一型の主翼端の折り畳み部分を切り落としたように50cmずつ短縮している点が特徴である。二一型に比べてエンジン出力が向上すると共に過給機の変速数が2速となり、高高度での速度の向上が見込まれていた。また翼面積を減らすことで空気抵抗を抑え、速度と横転性能を向上させることも狙っていた。実際、速度・上昇力・上昇限度の各数値は二一型に比べて向上しており、急降下性能や横転性能も改善されている。また20mm機銃そのものは短銃身の一号銃ではあるものの、携行弾数を60発から100発に増やすことで武装強化が図られている(試験的に長銃身の九九式二号20mm機銃や二式30mm機銃に換装した機体も数機作られ、ラバウルに送られている)。しかし、配備初期はエンジンにトラブルが多く、また機体改修に伴う燃料タンク容積の削減により航続距離・航続時間が低下している(主翼短縮やエンジン換装は航続力低下にほとんど影響していない。ただし、角型の翼端は航空力学的に問題があり、設計副主任の曽根嘉年は未解決の問題として「翼端ヲ丸型ニ整形ス」と設計ノートのメモを残している。)。折りしも実戦配備時期が長大な距離を往復する航空作戦が中心となったガダルカナル攻防戦と重なってしまい、航続距離の減少が問題となった(二号零戦問題)ため、燃料搭載量を増した二二型の開発・配備が促進されたことから、期待を担って登場したにも関わらず、生産数は三菱での343機に留まった。但し、1942年秋までにブカ島やブーゲンビル島のブインに前進飛行場が整備されてからは航続距離の低下はほとんど問題にならなくなり、ブインからであれば三二型でもガダルカナル上空で空戦を一時間行っても帰還できるようになった。また1943年春に小福田租少佐が纏めた「戦訓による戦闘機用法の研究」には二号零戦は高速時の横転操作が軽快なので空戦で有利という記述がある。なお連合国軍での零戦のコードネームはZekeであったが、本型はその翼端の形状から零戦とは異なる機種と認識されたため、新たにHampというコードネームが与えられており、1943年6月付けの米海軍日本軍機識別帳では「南太平洋戦域において最も重要な戦闘機のひとつ」と評価されている。
※この「零戦三二型(A6M3)」の解説は、「零式艦上戦闘機の派生型」の解説の一部です。
「零戦三二型(A6M3)」を含む「零式艦上戦闘機の派生型」の記事については、「零式艦上戦闘機の派生型」の概要を参照ください。
- 零戦三二型のページへのリンク