性能向上型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 23:49 UTC 版)
「F-11 (戦闘機)」の記事における「性能向上型」の解説
詳細は「en:Grumman F11F-1F Super Tiger」を参照 前述の通り、F11Fは機体重量に比べてエンジンが非力だったのが弱点であった。これを改良し、エンジンをより強力なGE J79(推力 4355kg)に変えた性能向上型F11F-1F スーパータイガー(Super Tiger)が開発された。最高速度 2,253km/hを記録、さらには23,449mの世界高度記録を樹立したが、反面エンジンの大型化により燃料消費が増大したことで航続距離が減少し、さらに翼面荷重も高くなったことから離着陸性能も悪化し、海軍の興味をひかず採用にはいたらなかった。F11F-1Fは試作機2機の生産にとどまった。F11F-1Fは1962年にF-11Bと改称された。 そこでグラマンは、NATOや、F-86の後継戦闘機(第1次F-X)を選定していた日本の航空自衛隊に、販売代理店の伊藤忠商事とともに売込みをはかった。日本向けの機体はグラマンの社内名でG.98J-11と呼ばれ、F11F-1Fの2号機を改造したデモンストレーター(G-98そのものではない)が製作され、その操縦性と安全性をセールスポイントとして、日本では採用が一旦内定した。しかし、G-98の内定に対して「汚職の疑いがある」また「設計図だけの幽霊戦闘機」(実機がまだ製作されていなかった)との批判が起こり、関係者からの事情聴取や証人喚問にまで発展、一旦白紙化した(第1次FX問題)。 前述の通りF11F-1Fスーパータイガーはエンジンの換装によりさまざまな問題が生じたが、グラマンはこれを改良して自衛隊の要求に合わせるとしていた。しかしその場合の開発資金は当然日本一国で負担しなければならず、対立候補であったロッキードF-104と比べると、生産も運用も困難となることがすでに1957年の調査団の報告書でも指摘されていた。 源田実航空幕僚長を団長とする官民合同の調査団が再び訪米し、2ヵ月半にわたる調査の結果提出された報告書に基づく再選定の結果、結局F-104が採用された。グラマンはこれにより230機という大口需要を失うこととなった。
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