性能強化とD形機の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:52 UTC 版)
「日本の蒸気機関車史」の記事における「性能強化とD形機の登場」の解説
B6形の増備と並行して、1900年前後には官鉄、私鉄とも輸送の強化改善を図るため、より高性能の6400形が2B形の強化機として輸入され、これ以降はアメリカ機の進出が激増した。在来機に比べて牽引力は変わらないが、ボイラーが一回り大きくなり出力に余裕をもたせた。1906年から設定された急行列車の牽引機に選ばれ、山陽鉄道、関西鉄道、日本鉄道などでも採用された。 動輪上重量を増加させるため動輪数を増やし、北海道炭鉱鉄道が炭鉱の出炭増加と開拓の進展に対応するため、1893年以降に我が国最初のD形機の9000形を購入した。 1897年に日本鉄道がボールドウィン社より購入した 9700形で、低カロリーの豆炭を使うため広火室を採用して1D1の輪配置とした。製作したボールドウィン社は初めての軸配置の蒸気機関車のため、発注した日本の天皇に因んでミカド形と命名した。当時世界的にも鉄道の輸送が伸びているのに対応て、牽引力が優れてボイラー出力を強められるこの軸配置の蒸気機関車は、貨物用の主力機として世界的に普及した。後年の主力の国産標準形貨物機のD50・D51 D52形式に継がれた。本機は明治機の最強のSLとして、改良前の東北線の勾配区間や貨物列車牽引に使用されたが後に過熱式の9600形式国産機の誕生により、早期に廃車された。
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