零戦の設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:21 UTC 版)
1937年より十二試艦上戦闘機の設計を行う。後の零式艦上戦闘機(零戦)である。 海軍からのあまりに高い性能要求に悩み、会議において堀越は「格闘性能、航続力、速度の内で優先すべきものを1つ挙げてほしい」と要求するが、源田実の「どれも基準を満たしてもらわなければ困るが、あえて挙げるなら格闘性能、そのための他の若干の犠牲は仕方ない」という意見と、柴田武雄の「攻撃機隊掩護のため航続力と敵を逃がさない速力の2つを重視し、格闘性能は搭乗員の腕で補う」という意見が対立し、両方正論で並行したため、堀越は自分が両方の期待に応えようと決めていた。 零戦の防弾性能について堀越は、「戦闘機には優先順位があり、防弾がなかったのは当然」としており、後の零戦に対する防弾装備は、「未熟者が増えたせいで不相応なものだった」と回想している。 以降、技術部第二設計課長として雷電、烈風の設計に携わったが、零戦も含めいずれも途中以降は他課に設計が移されている。
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