自沈・浮揚とは? わかりやすく解説

自沈・浮揚(1943-1945)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:06 UTC 版)

コンテ・ヴェルデ (客船)」の記事における「自沈・浮揚(1943-1945)」の解説

1943年昭和18年9月11日上海停泊中のコンテ・ヴェルデは、9月8日連合国降伏したイタリア本国政府指令基づいて船底爆破し擱座横転した。この時、日本占領にあったコンテ・ヴェルデを含む合計17隻のイタリア艦船自沈している。日本接収嫌ったイタリア人船員よるものだったが、この事件日本政府心証悪化させ、その後イタリア社会共和国につくことを拒否した在日イタリア人過酷な処遇一因になったとされる。コンテ・ヴェルデの乗組員全員日本軍拘留され工場勤務等を命じられた。その後連合国軍の空襲により、多数乗組員死傷した横転したコンテ・ヴェルデは、日本海軍によって護衛空母へと改装する事も考えられたが、1944年昭和19年6月日本軍はコンテ・ヴェルデの船体輸送船として再利用するため、姿勢復元浮揚着手した復元作業半ば8月8日アメリカ軍のB-24爆撃機による夜間奇襲受けて被害を出すが、コンテ・ヴェルデの船体12月までに再浮揚漕ぎ着け壽丸改名の上江南造船所(現・江南造船)で修理行った造船所では、ボイラー8基のうち4基、タービン2基、発電機2基などを修理し1945年昭和20年4月には自力航行ができる状態まで復旧した壽丸4月11日砲艦宇治駆逐艦護衛について黄浦江下り4月22日には海防艦5隻が護衛引き継いで出航空襲触雷見舞われながら、舞鶴港へと回航された。しかし、5月8日米軍機襲撃受けて沈没した沈没原因アメリカ軍B-29舞鶴港投下した機雷触雷したためとも言われている。 海軍は再び浮揚試みたが、7月25日に再び空襲を受け大破擱座し、そのまま終戦至った1949年昭和24年6月壽丸船体飯野産業により再浮揚され、1950年昭和25年)にイタリア政府返還されたが、1951年昭和26年8月スクラップとして三井造船売却された。

※この「自沈・浮揚(1943-1945)」の解説は、「コンテ・ヴェルデ (客船)」の解説の一部です。
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