自沈後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:28 UTC 版)
「スカパ・フローでのドイツ艦隊の自沈」の記事における「自沈後」の解説
何隻かは手に入れられることを望んでいたドイツ艦隊が自沈したことは、フランスを落胆させた。 スカパ・フローにあったドイツ艦艇74隻のうち、主力艦は16隻中15隻、巡洋艦は8隻中5隻、駆逐艦は50隻中32隻が沈んだ。残りは浮いているか浅瀬に曳航されて座礁させられた。座礁した艦は後に連合国間で分配されたが、沈んだものについてはそのまま放置された。戦争終結後旧式艦の解体でスクラップが供給過剰となっており、引き揚げてもコストに見合わないと判断されたためであった。その後、航行の障害になっているという現地の住民からの苦情を受けて、1923年にサルベージ会社が設立され、4隻の駆逐艦が引き揚げられた。 そのころ、企業家アーネスト・コックス (Ernest Cox) が関与し始めた。彼は駆逐艦26隻を250ポンドで海軍本部から購入し、さらにザイドリッツとヒンデンブルクも購入した。彼は、購入し改装した古いドイツの乾ドックを使用して駆逐艦の浮揚作業を始めた。1年半で26隻の内24隻の駆逐艦の引き上げに成功すると、コックスは大型艦に取り掛かった。コックスが開発した新しい引き揚げ技術で、ダイバーは海中の船体に開いた穴をふさいだ後空気を送り込み浮上させてから解体業者のところまで曳航した。この技術を用いて彼は何隻も浮揚させた。しかしこの方法は費用がかかり、ヒンデンブルクの引き揚げに要した費用は最終的に約3万ポンドに達した。労働争議や1926年におきた炭鉱でのストライキのため作業は一時中止に追い込まれたが、コックスは沈んでいるザイドリッツから石炭を取り出して、ストライキが終わるまでの間機械の燃料として用いた。ザイドリッツの引き揚げは難しく、最初の引き上げの際にザイドリッツは再び沈んでしまい引き揚げ装置の大半が破損した。コックスはくじけず再挑戦し、引き揚げの瞬間を捉えられるようにカメラを用意するよう命じた。この計画は、コックスが休暇でスイス滞在中に誤って浮揚されたことであやうく裏目に出るところであった。コックスはザイドリッツをもう一度沈めるよう命じ、それからイギリスに戻ってザイドリッツの浮揚に立ち会った。コックスの会社は最終的に駆逐艦26隻、巡洋戦艦2隻と戦艦5隻を引き揚げた。 コックスは残りの事業をAlloa Shipbuilding Companyに売却し、「海軍を買った男 (man who bought a navy)」として退いた。会社は後にMetal Industriesとなり、第二次世界大戦で休止されるまでにさらに5隻の戦艦や巡洋戦艦、巡洋艦を引き揚げた。残りは水深47mに達する深い場所に沈んでおり、引き上げを行う経済的な価値はなかった。小さな鉄の破片を引き揚げるための小規模な作業は継続されており、核汚染の可能性がない時期に生産され放射性同位体を含まないそれらはガイガー・カウンターのような放射線に敏感な機器に使用されている(日本の陸奥の残骸も同様の用途に用いられている)。 残っている7つの沈船は古代遺跡及び史跡に関する法律 (Ancient Monuments and Archaeological Areas Act) で保存される予定である。ダイバーはそこを訪れることは出来るが、それには許可が必要である。 艦名艦種沈没/座礁その後ザイドリッツ 巡洋戦艦 沈没 13:50 1929年11月に引き揚げ モルトケ 巡洋戦艦 沈没 13:10 1927年6月に引き揚げ フォン・デア・タン 巡洋戦艦 沈没 14:15 1930年12月に引き揚げ デアフリンガー 巡洋戦艦 沈没 14:45 1939年8月に引き揚げ ヒンデンブルク 巡洋戦艦 沈没 17:00 1930年07月に引き揚げ カイザー 戦艦 沈没 13:15 1929年03月に引き揚げ フリンツレケント/プリンツレゲント・ルイトポルト 戦艦 沈没 13:15 1929年03月に引き揚げ カイゼリン 戦艦 沈没 14:00 1936年5月に引き揚げ フリイトリヒ/フリードリヒ・デア・グローセ 戦艦 沈没 12:16 1937年に引き揚げ ケエニヒ/ケーニヒ・アルベルト 戦艦 沈没 12:54 1935年7月に引き揚げ ケエニヒ/ケーニヒ 戦艦 沈没 14:00 引き揚げられず クローサー/グローサー・クルフュルスト 戦艦 沈没 13:30 1933年4月に引き揚げ クローンプリンツ・ヴィルヘルム 戦艦 沈没 13:15 引き揚げられず マルクグラーフ 戦艦 沈没 16:45 引き揚げられず バアデン/バーデン 戦艦 座礁 イギリスに移管され1921年に標的として沈没 バイエルン 戦艦 沈没 14:30 1933年9月に引き揚げ ブルンマー 巡洋艦 沈没 13:05 引き揚げられず ブレムゼ 巡洋艦 沈没 14:30 1929年11月に引き揚げ ドレスデン 巡洋艦 沈没 13:50 引き揚げられず ケルン 巡洋艦 沈没 13:50 引き揚げられず カアルスルウエ/カールスルーエ 巡洋艦 沈没 15:50 引き揚げられず ニュルンベルク 巡洋艦 座礁 イギリスに移管され1922年に標的として沈没 エムデン 巡洋艦 座礁 フランスに移管され1926年に解体 フランクフルト 巡洋艦 座礁 アメリカに移管され1921年に標的として沈没 S032S32 駆逐艦 沈没 1925年06月に引き揚げ S036S36 駆逐艦 沈没 1925年04月に引き揚げ G038G38 駆逐艦 沈没 1924年09月に引き揚げ G039G39 駆逐艦 沈没 1925年07月に引き揚げ G040G40 駆逐艦 沈没 1925年07月に引き揚げ V043V43 駆逐艦 座礁 アメリカに移管され1921年に標的として沈没。 V044V44 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 V045V45 駆逐艦 沈没 1922年に引き揚げ V046V46 駆逐艦 座礁 フランスに移管され1924年に解体 S049S49 駆逐艦 沈没 1924年12月に引き揚げ S050S50 駆逐艦 沈没 1924年10月に引き揚げ S051S51 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 S052S52 駆逐艦 沈没 1924年10月に引き揚げ S053S53 駆逐艦 沈没 1924年08月に引き揚げ S054S54 駆逐艦 沈没 1921年9月に引き揚げ S055S55 駆逐艦 沈没 1924年08月に引き揚げ S056S56 駆逐艦 沈没 1925年06月に引き揚げ S060S60 駆逐艦 座礁 日本に移管され1922年に解体 S065S65 駆逐艦 沈没 1922年05月に引き揚げ V070V70 駆逐艦 沈没 1924年08月に引き揚げ V073V73 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 V078V78 駆逐艦 沈没 1925年09月に引き揚げ V080V80 駆逐艦 座礁 日本に移管され1922年に解体 V081V81 駆逐艦 座礁 解体地へ向かう途中で沈没 V082V82 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 V083V83 駆逐艦 沈没 1923年に引き揚げ V086V86 駆逐艦 沈没 1925年07月に引き揚げ V089V89 駆逐艦 沈没 1922年12月に引き揚げ V091V91 駆逐艦 沈没 1924年09月に引き揚げ G092G92 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 G101 駆逐艦 沈没 1926年4月に引き揚げ G102 駆逐艦 座礁 アメリカに移管され1921年に標的として沈没 G103 駆逐艦 沈没 1925年09月に引き揚げ G104 駆逐艦 沈没 1926年4月に引き揚げ B109 駆逐艦 沈没 1926年3月に引き揚げ B110 駆逐艦 沈没 1925年12月に引き揚げ B111 駆逐艦 沈没 1926年3月に引き揚げ B112 駆逐艦 沈没 1926年2月に引き揚げ V125 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 V126 駆逐艦 座礁 フランスに移管され1925年に解体 V127 駆逐艦 座礁 日本に移管され1922年に解体 V128 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 V129 駆逐艦 沈没 1925年08月に引き揚げ S131 駆逐艦 沈没 1924年08月に引き揚げ S132 駆逐艦 座礁 アメリカに移管され1921年に沈没 S136 駆逐艦 沈没 1925年04月に引き揚げ S137 駆逐艦 座礁 イギリスに移管され1922年に解体 S138 駆逐艦 沈没 1925年05月に引き揚げ H145 駆逐艦 沈没 1925年03月に引き揚げ V100 駆逐艦 座礁 フランスに移管され1921年に解体
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